5.アースワークと土地再生プロジェクト1969年の〈アスフアルト・ランダウン〉において,ついにスミッソンは大規模な屋は,友人のアーテイストと連れ立って,ときに一人で,国立公園のような美しい自然ではなく,郊外の遺棄された工場跡地や工事跡などに「新たなモニユメントjを探すハイキングに出かける。新たなモニュメントとは,排水溝や油井ポンプ等の誰も特別な視線で眺めることのない,自然の中にぞんざいに投げ出された人為的な構築物である。そして,そこから採取した石や砂利を持ち帰る。こうして無名の地点から運ばれた無名の事物が,幾何学的な形態のフレームに収められ,ギャラリーに置かれる。そこには,同一のフレーム形態を持った詳細な地図や航空写真が並置される。このフレームは,これまでの立体作品で用いられていたような,単純な幾何的形態が集合し,遠近法的に縮小していくというパターンを踏襲している。例えば,1968年の〈ノン・サイト,フランクリン,ニュー・ジャージー〉では,縮小しながら反復する台形のフレームが用いられ,並置された現場の航空写真も同一の形態に切り取られている。これが「サイト/ノン・サイトjと呼ばれるシリーズである。「サイト」とは特定の場所,「ノン・サイト」はどこでもない場所の意味である。実際には,ノン・サイトとは,中立的なギャラリー空間であり,サイトは岩や砂利などを採取してきた現実の場所であるが,既述の通りそこには何か特別なものがあるわけではない。ギャラリー空間の中立性が,特定の具体的な場所と結び付けられることで,それ自体特殊性を帯びるかに見えるが,実際はそこから指示される場所に,特定の対象や意味がないために,指示の行為は完了しない(言うまでもないが石や岩はそこらじゅうに転がっている)。それ故,ノン・サイトは,言わば指示対象のない,正確には,識別不能な(識別することが無意味な)指示対象を持った,詳細な幾何学的指示記号を構成する(注7)。それらの砂利や岩は,以前の彼の彫刻において用いられた鏡と同じ仕方で,空間を破砕するのである。その効果として,ギャラリーは,一種の空虚な指示記号,どこにも無い場所=ノン・サイト,非空間となる。そしてこの非空間こそが,彼にとって,ノン・サイトを指示する,一種の非地図としての逆説的彫刻だ、ったのである。外プロジェクトを開始する。これはローマにある砂利と泥の採石場の崖で,ダンプ一杯のアスフアルトを流し落としたものである。アスフアルトは崖の起伏に沿ってただ648
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