流れ落ちる。光沢を放つアスフアルトは,境っぽい大地の上で,まるでデニクーニングの滴り落ちる絵の具やモーリス・ルイスのそれのように,大地のアクセントとなる。自然破壊という言葉も思い浮かぶかもしれない。だが彼は,人間の行為や所産と,純粋無垢な自然を区別するという,人為的な境界線に懐疑の目を向ける。既に人間の手によって手を加えられた自然の中に物質を流し落とすという行為は,ある意味でこの境界線にあらかじめ潜む人間中心主義的な自然観を明らかにしようとする試みだとはいえないだろうか。というのも,流れ落ちるアスフアルトは,自然の力を目に見えるものにしているからだ。それは,人間によって加工された自然も,より大きな自然の力に従うという単純な事実を示している。あるいは洪水や雪崩の産業的アレゴリーと言ってもいいかもしれない。続いて彼は,1970年にケント州立大学に〈部分的に埋められた薪小屋〉,同年,ユタ州グレート・ソルト・レイク北東岸のローゼル・ポイントの近くに彼の代表作となる〈スパイラル・ジェティ〉を,翌年には,オランダのエメン近郊に〈途絶えた円環,螺旋状の£rJを制作。そしてこの頃より,遺棄された露天採鉱や工業跡地にアースワークを制作する「土地再生jのプロジェクトを多数考案し,それらを所有する企業に提案し,実現に向けての努力を始める。だが残念ながらそれらはいずれも実現されることはなく,プランを描いたドローイングだけが残された。そうした中,彼はテキサスに広大な牧場を所有する資産家から作品を依頼され,〈アマリロ・ランプ〉を制作する。だが,制作の途上,スミッソンは写真家とともにヘリコプターで上空から作品を視察中に墜落し,35歳の若さで故人となってしまった。これら70年代のモニュメンタルなアースワークは,〈部分的に埋められた薪小屋〉を除いては,人がほとんど訪れることがないような場所につくられている。とりわけ〈スパイラル・ジェティ〉は,ほとんど人間の痕跡を留めないようなグレイト・ソルト・レイク北部の,惑星のごとき地形の中にある。昨年訪れたときには,それは長い水没の眠りの中にあり,文字通りエントロピックな時間の中に埋没していた(注8)。一般的にはそのアクセスの困難さから,写真やフィルムやテキストによって,これらの作品は補填され,我々の目に届くことになるが,それはアーテイストの意図するところでもあろう。従ってその指示対象がエントロピックな領域にあるという意味において,サイト/ノン・サイトにおけるネガテイヴ空間は,ここにも残響している。こうして彼のアースワークは多数の形式に破砕され,それ自体,現実空間を巻き込んだ多面的テ-649-
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