鹿島美術研究 年報第17号別冊(2000)
666/763

うであるが,翌69年にはカパネルのアトリエに入っていたことが,同校在籍中に参加したコンクールのために残したデッサン中の記述から知られる。国立美術学校の学生が最終的に目指したのは,優勝者にイタリアのヴイラ・メデイチ滞在の権利が与えられたローマ賞コンクールであったが,コランはこれに参加することなく,1873年,いきなりサロンへと出品することとなる。この時の出品作〈眠り〉〔図l〕は,二等メダルをコランにもたらし,画家としての出発を華々しく飾った。「横たわる裸婦jを描いたこの作品は,師カパネルのくヴィーナスの誕生〉をも想起させるアカデミックなテーマであると言えるが,カパネルのように裸婦を「神話画Jとして描くのではなく,裸体の表現そのものに焦点を当てた「裸体画jとして扱いうる点に時代の推移がみられる。つまりこの時代のサロンには,神話の物語とは一線を画す裸婦を描いた作品が目立ち始めていたようなのだ。後にコランを画壇で有名ならしめたのは,まずはこうした「裸体面jのカテゴリーにおいてであるが,サロンデピ、ユ一作,〈眠り〉は,あたかもこれを予見するかのようである。またく眠り〉には,この他にもコランの後の作風を予感させる要素が見受けられる。理想化されつつも現実味を漂わせた裸婦の肌は柔らかに肉付けされ,髪の毛の質感も繊細に描写されている。クッションや毛皮などのふわりとした感触も,細やかなタッチにより巧みに表現されている。そしてこの裸婦の優美さは,画面空間の奥行を排することにより,際立ってくるのだ。こうしたく眠り〉の特徴は,1877年のサロン出品作品パダフニスとクロエ〉〔図2〕にも引き継がれている。この少年と少女の裸体画は,コランのもう一人の師,ブーグローを思わせもするが,師の冷たくシャープな裸体表現とは異なり,肌や髪の毛,毛皮には柔らかく繊細な質感が表現されている。こうした暖かみを残した裸体は,青い布や,クールベさえも想起させる荒いタッチで描かれた岩や植物との対比,並びに奥行を排した空間表現により一層引き立てられる。ちなみに『ダフニスとクロエ』は,若い二人の牧人,ダフニスとクロエの恋愛謹を描いた2世紀後半のギリシア詩人,ロンゴスの散文詩である。コランはこうした牧歌的田園恋愛詩の主題を好み,この後しばしば描くと共に,1890年にこの散文詩のフランス語訳が出版された際には,その挿絵の原画を担当したりする。さてこのように,1870年代の幾つかの作品にその後のコランの画風につながる要素1868年にパリ国立美術学校に入学したコランは,当初ブーグローに師事していたよ-655-

元のページ  ../index.html#666

このブックを見る