鹿島美術研究 年報第17号別冊(2000)
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II. 1880年代1880年代は,コランが自らの画風を確立した時期にあたる。三浦篤氏が「外光派ア1884年のサロンに出品されたく夏〉は,コランのサロンでの最大の成功作として注が見受けられる一方で,この時期特有の要素を示す作品も存在する。例えば1874年のサロン出品作,〈ヴ:ネツイア娘〉〔図3〕では,ヴェネツィア風の衣装をまとった女性の姿が描かれている。女性の衣装の鮮やかな赤はヴェネツイア派のそれを思わせ,少々ぼかした輪郭線は「スフマート」の技法さえ思わせる。こうした擬古的な作風はこの時期にしかみられないが,これは,コランが若い頃に従事した陶器の絵付けの仕事と無関係ではないだろう。コランは1872年から1889年まで,当時の著名な陶器作家,テオドール・デックの工房で絵付けの仕事に従事しており,古典古代の衣装に身を包んだ人物像を華やかに描き出している。デックは駆け出しの若い画家たちに収入の道を聞くため,工房に絵付け師として彼らを招いていたということだが,コランもこのような一人であったのだろう。またコランが肖像画も得意としたことは,1907年のヴァレの『ルヴ、ユ・イリュストレ』での記述から窺われるが,この時期のコランの肖像画には,〈ミュンツ夫人の肖像〉〔図4〕の様にレンプラント風の強い明暗表現を用いたものも見受けられる。こうした特徴は,1880年代以降のコランの作品には見られなくなる。かわってコランが得意とするようになるのはくブロンド一夫人の肖像〉〔図5〕のような屋外の人物表現なのであるが,ヴァレによれば,コランの屋外の人物表現の最初の試みは1879年に制作されたく妹の肖像〉であるという。この屋外の描写を本格的に取り入れたく妹の肖像〉は,コランの1880年代の作風のプレリュードであるかのように1880年のサロンに出品された。カデミスム」と形容したこの時期のコラン作品に顕著な特質は,コラン初の大作〈夏〉〔図6〕にとりわけ見い出すことができる。目を集めたことが,当時のサロン批評からも知ることができる。この成功によりコランはレジオン・ドヌール五等勲章を授与され,作品そのものも相当な高額でスウェーデン人フルステンベルグに買い取られたことが,コランが作品の国家買上げを辞退した手紙からも窺われる。656

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