5月半ばに当たる時期であり,描かれた裸婦はこの季節の寓意像である。だがその姿つ。〈夏〉は,その題名から夏という季節の寓意画であることが知られる。とするならば,この作品に描かれた裸婦たちは神話の女神ということになろうが,当時のサロンの批評家が「彼の裸婦はとても粋でおしゃれな,十分な貞潔さと半ばブルジョワ的な性格をもった,服を脱いだ女性にほかならない」(注2)と言ったように,徹底的な理想化はなされず,繊細な筆触と陰影表現により実際の女性の裸体をも看取させる現実味を残した描写となっている。このことは,シャヴァンヌの裸婦との比較においてより明らかとなろう。同様に古代の牧歌的な水浴の光景を描いていても,シャヴァンヌが形態把握の単純化と構図の平面化を押し進めることにより,装飾的とも言える特徴を示しているのに対し,コランはそれに自然の光の表現をとりいれ,より写実的な描写をなしている。こうしたコランの光の表現は,背景の描写により顕著に見られる。繊細で、細かく,時には溶け合うような筆触で描かれた屋外の描写は,そこに通う光と大気を表現するとともに,密度の高いタッチで描かれた人体の表現を引き立てている。こうした外光の表現は,コランの友人でもあり,パルピゾン派の流れを汲む自然主義的な屋外描写を得意としたパステイアン=ルパージュからの刺激による部分もあったことであろこのように「寓意画」という伝統的手法に則りながらも,裸婦の写実的表現や屋外の自然主義的表現をそこに取り入れた画風がコランの「外光派アカデミスム」であり,ここでコランが習得した要素は,後の作品にも何らかの形で現われることとなる。く夏〉の他にも,1886年のサロンに出品され,国家に買い上げられた後リュクサンブール美術館へと入ったくフロレアル〉〔図7〕もコランの1880年代の特徴を多分に示している。〈フロレアル〉とは,フランス革命時の共和歴の8月,現行の暦の4月半ばからは艶かしさをも感じさせるような写実性を有した描写で描かれ,背景の屋外の霧煙るような柔らかく控えめな大気と光の表現は,コローの「銀灰色Jさえも偲ばせるかのようだ。このようにコランは1880年代,自己の作風を確立し,画家としての名声も得ていったのだが,それに呼応するかのように,この時期,公共建築物の依頼も受け始める。ベルフォール市立劇場のための装飾パネル,〈音楽〉〔図8〕とく舞踏〉〔図9〕や,ソルボ、ンヌ大学のための装飾画く晩夏〉がそれで、ある。このうち現在みることができる657
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