② 戦国時代の武人画家に関する研究研究者:群馬県立女子大学文学部助手大石利雄わが国戦国時代の絵画史を考える時,とりわけユニークな存在として注目されるものに武人画家がある。相見香雨氏,田中一松氏により先鞭を付けられたこの武人画家についての研究は,その後も進展を見せ,絵画史上の位置づけもほぼ定まったかに見える。そこにはある種系譜といったようなものも想定されているが,しかし,−EL個々の画家に目を向けるなら,必ずしも明らかになっているとは言いがたく,依然として未解決の問題も残されているのが現状である。戦国武人画家の代表的存在である山田道安と土岐洞文もその例外ではない。ここでは,本研究の一環としてとくにこの二人を取り上げ,研究成果を報告することとしたい。0山田道安大和の豪族筒井氏の一族である山田道安(順貞〜1573)で問題になるのは,周知のように,その子順清(1540〜71),また順清の子)||買知(生没年不詳)も画をよくし,ともに道安と号し同じ印を用いたと伝えられることであろう。もっとも,同時代史料から道安と号したと確認されるのは,今のところ東大寺大仏の修理に尽力して有名な順貞のみであり,この三代道安説,あるいは三代同印説については,これを疑問視する見方もある。しかし,伝存する作例に照らす限り,画風の相違や画作年代の隔たりは明らかであり,三代説はともかく,到底これらを,ひとりの画家のものとは見倣し得ないこともまた事実である。三代とされる順知の生没年は不詳であるが,慶長年間の活動が確認されており,実際道安画の中には,この頃まで作画時期を下げて考えなければならないものも含まれる。三代説には好都合となるが,しかし筆者の見るところ,これには真贋の問題も複雑に絡んでいるようであり,そう簡単に結論づけられるものではない。また仮に三代説を認めた場合でも,それらが果たして三代のうち誰の手になるかなどといった具体的な解明となると,今のところ全く手掛りがないといってもよいだろう。ふつうには,最も優れた出来映えを示して有名な「鐘埴図」(円覚寺蔵)を,初代道安すなわち順貞の作とすることが行なわれているが,これとて確実な根拠があってのことではなく,単にひとつの仮説にすぎないものであることはいうまでもない。筆者としても,この困難な状況に対しては,何か特別に良策といったものがあ-667-
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