鹿島美術研究 年報第17号別冊(2000)
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は,これも『土岐系図』ほかには見当たらない土岐富景と同人と見倣すものなどもあるが,現状ではそのいずれも考えにくい(注8)。本研究では,作品の調査と並行して,この不明の伝記についても手掛かりを探った。ついては充分な成果を得るには至っていないが,研究を進める中でとりわけ筆者の関心をヲlいたのは,その東国との関わりである。もっともこのことは,研究者の聞でも既に注目されているところであり(注9),とくに目新しいことがらではないが,ここでは不明の伝記を解き明かすーっの手掛かりとして,この問題を取り上げ,若干の新知見を添えることとしたい。最初に,筆者の管見に入った洞文面のリストを挙げておく。山水図(細香斎図栃木県立博物館蔵),山水図(『国華』第178号),山水図扇面(『国華』第751号),山水図(米国・ドラッカーコレクション),山水図(藤田美術館蔵),二起二睡図(岐阜市歴史博物館蔵),寒山拾得図(東京国立博物館蔵),出山釈迦図(根津美術館蔵),布袋図(兵庫・個人蔵),人麿図(『国華』第792号),天神図(『国華』以上のほかに,模本から知られるものとしては後述する「蘇東坂像」があり,また「常信縮図」(東京芸術大学蔵)には「観音図葦葉」が記録される。ほかに画伝類に著録されるものとして,「孤山隠士之図」(『画師姓名冠字類抄』),「不二三景」「観音J「柳鷺J(以上『古画備考』)などがあり,山水,人物,花鳥と多岐にわたっており,画技の確かさに加え,この画域の広さは,単なる余技とは言えない面があり,このことも洞文の伝記を考える上での重要なポイントである。上記した作品には,曽我派,もしくは李朝絵画の影響を考慮しなければならないものや,やまと絵風のものまであり,その画風形成は複雑であるが,中に祥啓はじめ東国画壇との接触を物語るもののあることは注目してよいだろう。それが端的に表われているのが,「布袋図jである。その面貌表現は明らかに仲安真康以来のいわゆる鎌倉派に特徴的に見られるものである。加えて,狩野正信筆「崖下布袋図」との図様の近似も注目されるところで祖本を同じくするか影響関係を認めてしかるべきものであろう。このことも正信,ひいては関東狩野派とのつながりが想定できないわけではない。ほかにも,例えば「猿狼捉月図jの岩の描法なども,祥啓ないし祥啓派のそれに通じるものといってよいだろう。『古画備考』が「養朴縮図」をあげて「董観音似啓書記Jと評しているのも,ここに想起される。第639号),猿狼捉月図(米国・個人蔵),子母鷹図(『東洋美術大観』ほか所載)-671-

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