鹿島美術研究 年報第17号別冊(2000)
688/763

としては,〈ドーヴァ一城>(1822年,『海景J収録,〔図l〕),〈ドーヴァー>(1825年頃,『イングランドの港』,〔図2〕),〈マーゲイト>(1825年頃,『イングランドの港.!,〔図3〕),〈グリニッジからのロンドンの眺め>(1825年頃,『ロンドンとその周辺の景観.i),<ロンドン塔}(1825年頃,『ロンドンとその周辺の景観J,〔図4〕),〈ハンプトンコート}(1827年頃,『イングランドとウエールズのピクチャレスクな景観』)などが挙げられる。〈ドーヴァ一城〉や〈ドーヴァー〉は,遠景に古城をいただき,近景に活動する人々の姿を置くという,ターナーのピクチャレスクな風景画に典型的な構図を持っているが,その定式的な画面の中に蒸気船が描写されている。ドーヴァー海峡を初めて蒸気船が渡ったのは1816年のことであり,その5年後の1821年にはドーヴァーとカレーの聞に定期便が出るまでになっていた。ターナーは,そのように急速に普及してゆく蒸気船の姿をいちはやく地誌的風景画に取り込んで、いった。これらの作品での蒸気船は,未だ単独のモチーフとして登場してくるわけではなく従来からの帆船やボートに混じって描かれているに過ぎない。しかし,これらの画面での蒸気船が,周囲の水面の状況がどうあれ,煙突を垂直に立てたスタティックな様子を示している点は注目に値する。それは,他の帆船やボートが激しい波の最中で翻弄されるかのように描かれるのとは著しい対照を示している。また,〈ロンドン塔〉などでは,白黒の縞模様の煙突を持った蒸気船が,画面中央のロンドン塔に重なる位置に描かれており,モチーフとしての重要性を意識させるものも存在する。これらの作品で,ターナーは,旧来のピクチャレスクな風景画を構成する帆船や古城といったモチーフと措抗する位置を蒸気船に与えることによって,新時代のテクノロジーの象徴としての意味を持たせようとしたのではないだろうか。このことを最も明快に示しているのが,1834年から35年にかけて刊行された『セーヌ河遣準j上下巻に登場する蒸気船のイメージである。この書物には,ターナー原画の銅版画挿絵が20点ずつ掲載されているが,具体的な蒸気船のイメージは,上巻の7点および下巻の2点に表されている。それらはこれまでになく多様な姿で示されており,それぞれの画面上のみならず書物全体を通じても最も重要なモチーフのひとつとなっている。上巻の序文には,「ルアーヴルからルーアンに至るまでのセーヌ河両岸の徒歩旅行記であるとともに,より日常的な蒸気船による遊覧旅行をする人のための案内書としてJ(注1)出版されたと明記されているが,677

元のページ  ../index.html#688

このブックを見る