(85頁,〔図8〕)では,蛇行するセーヌ河を高い視点から望む構図を持つが,奥の方にこのピクチャレスクの旅行記において蒸気船が持つ意味の大きさが,挿絵にも反映されている。まず,上巻の第3葉〈ルアーヴル,フランソワ一世塔>(29頁,〔図5〕)では,黒々と煙を吹き上げる蒸気船が右側の帆船のすぐ背後に迫る様子が描かれている。この作品では題名に示された旧跡が最も重要なモチーフであることは疑いないが,それが過去へのノスタルジーを喚起させる一方で、,帆船と対になった蒸気船は,新しい時代の到来を如実に表現している。次に,第l葉〈エーヴの灯台>(39頁,〔図6〕)では,画面中央に一隻の蒸気船がシルエットで描かれているがこれこそがこの書物のなかでの蒸気船の位置づけを代表するものであろう。周囲には,何隻かの帆船が臨な姿で描かれているが,それらは中央の蒸気船の進路を空けるかのように左右に分かれて置かれている。さらに,水彩による原画〔図7〕での蒸気船は,あたかも月明かりのスポットライトに照らされているかのように描写されており,画面上での重要性がより強調されている。ルアーブルとルーアンの中程に位置する小さな町を描いた第13葉〈コードベツク〉ごく小さな姿で描かれた蒸気船を認めることができる。画面中央にあって白い煙を吹き上げるそれは,画面の中ではっきりとその存在を主張している。煙の向きから判断すれば,手前の街並みに向かつて進んでくる様子を描写したものであろうが,その前方には白い帆船が数隻描かれている。つまり,帆船と蒸気船の併存と対比の構図がここでも認められる。第16葉〈デュクレール付近のラ・シェーズ・ド・ガルガンチュア>(112頁,〔図9〕)の前景では,ボートやヨットに乗った人々が突然の雷鳴に驚く様子が描写されており,その背後には悠然と煙を上げる蒸気船の姿が認められる。この煙は,画面左側に閃く稲妻と明らかに呼応するように描かれている。つまり,この作品でターナーは,自然の力と人工の力が対抗し合う図式を提示しているのである。また,その一方で、念入りにも,突風によって画面の右側に流されていくような帆船の姿も描かれており,帆船と蒸気船の対比はまたもや繰り返されている。このように帆船と蒸気船を対比的に扱う手法は,第12葉〈キュブフとヴイユキエの間>(182頁,〔図10〕)において最も明瞭なかたちで示される。黒い煙を精力的に吹き上げながら手前に向かつて力強く進んでくる蒸気船は,左右の帆船を押し退けて画面678
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