鹿島美術研究 年報第17号別冊(2000)
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ちた作品に対しては,当時の批評家がこぞって賛美の意を表している。例えば,『モーニング・クロニクル(MorningChronic!巴)』誌の批評では,「この情景から我々が受ける感動は,一人の人間の死と同じぐらい深いものがある。…その姿を熟視するにつけ,この船が国家のために如何に多くのことをなしてくれたか,そして如何に傷ついたかを思い出さずにはおれない。…光輝く水平線は,テメレール号の栄光が輝かしく終需を迎える様を詩的に暗示している。J(注5)としている。ここでは,画面右半分を占める壮麗な日没の表現とテメレール号の姿を重ね合わせつつ,この船をあたかも一人の英雄と同様に見倣している。そして,画面上に登場する蒸気船についても,同様に擬人的な視点で捉える批評も存在している。ウィリアム・サッカレーの論評では,この蒸気船は「汚く,毒々しい灼熱の煙を吐き出す底意地の悪い小さな悪魔」と呼ばれており,一方の「悲しげだが威風堂々たる老戦艦jの悲劇的な運命を際立たせる役割を担わされている(注6)。そうした評価の是非はともかく,金属的に黒光りする煙突から火の粉と煙を吹き上げつつ巨大な戦艦を力強く曳航する蒸気船に,この作品におけるもう一つの主役としての役割が与えられていることは間違いない。このことは,テメレール号を曳航したタグボートが実際の記録では二隻であったにもかかわらず,作品に登場するのは一隻だけであり,画面上でもっとも目立つ位置と色彩を与えられていることからも明らかである。ここで見られる蒸気船と戦艦の対比は,前章で指摘したように,〈キュブフとヴイユキエの間〉での蒸気船と帆船の関係を明らかに踏襲している。また,スティーヴン・ダニエルズがいみじくも指摘するとおり,蒸気船が吹き上げる火の粉は画面右側の太陽の光と同じ色彩が与えられており,画面の対角線に沿って両者は呼応している(注7)。ミシェル・セールの言葉どおり,「新しい火が海や風の支配者となって太陽に挑いうトピックを描写したものであるにとどまらず,蒸気船に代表される産業革命によってもたらされた近代世界の到来をシンボリックに表現したものである。さらに,〈平和一海葬}(1842年,〔図20〕)で,画面中央に蒸気船が描かれている。この作品は,友人であるデイヴイッド・ウイルキーが船上で亡くなったのを悼むために描かれたとされるが,蒸気船が掲げる黒い帆がその弔意を表している。と同時に,当時の蒸気船に帆船とのハイブリッドが存在したことを示している。また,画面中央に大きく描かれた蒸気船は,対作品である〈戦争流刑者とアオ貝}(1842年)の画面戦J(注8)しているのだとすれば,この作品は,ただ単に一隻の戦艦が解体されると-681-

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