鹿島美術研究 年報第17号別冊(2000)
699/763

① 14-15世紀トスカーナにおける画像の流行と市民の礼拝祈祷研究者:兵庫教育大学芸術系教育講座助教授喜多村明里1.ジョヴァンニ・モレッリ『備忘録(Ricordi).lにみる市民の画像祈祷1406年6月5日,フイレンツェ商人ジョヴァンニ・モレッリ(1371頃1444)の長男アルベルト(9才)は,17日間の闘病の末に臨終を迎えた。その様子を父親ジョヴアンニは『備忘録(Ricordi).l (1393-1421)に以下のように記す。「[アルベルトは]食べることも眠ることも出来ずに苦しんだが,繰り返し父なる神と母なる聖処女の庇護を乞い,我らが乙女の板絵(tavola)を持って来させるとこれを抱き悔俊の意を大いに表わして幾度も祈りと礼拝をなしたので,そうした苦しみのうちにある彼を見て慈愛の情を覚えぬような頑なな心の者は誰一人として居なかった。」(注1) ここで注目されるのは,市民の家庭生活の内部に聖母を描く板絵が存在したことである。しかも瀕死の少年が板絵を前にして立派な信仰態度を示したがゆえに,人々は「慈愛の情jを深めた。モレッリは「比較的政治臭の少ないJ,穏健で、私的な「上層ブルジョワジー一般人」(注2)と評され,初期資本主義時代の商人,近代的市民のプロトタイプとして語られることの多い人物だが,彼の家庭生活の内にあった私有の宗教画像,「抱くjことの出来るような画像がいかなる位置をしめていたのかは,興味をそそるところであろう。彼は司祭による告解と終油を受けることなく急逝した長子の魂を悼み,翌年の命日に自ら祈祷を行なう。『備忘録Jに綴られた祈祷の手順とその委細説明からは,市民生活に浸透していた宗教画像の本来的なすがたが窺われよう。すなわち長男が息絶えたのと同じ夜半の刻,ジョヴァンニは自宅にあって膝の出る夜着姿で無帽,首には絶望と喪の悲しみを示すコレッジャ(細紐)をつけて「彼(息子アルベルト)がその身体の健康を幾度も乞い願っていた神の子の礁刑」板絵に対した。これを幾度も抱いて接吻し,嘆きの心で画像の細部4 . 1996年度助成キリストの身体の傷を凝視して眠想を続けるう688

元のページ  ../index.html#699

このブックを見る