鹿島美術研究 年報第17号別冊(2000)
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鄭序⑥文人の詩画表現一一王維「竹里館j詩意図をめぐって一一研究者:椙山女学園大学講師唐代の詩人であり画家である王維(699?〜761)は,「詩中有画Jと「画中有詩」(注1 )の境地を混然融合させ,後世の文人に計り知れない大きな影響を与えた。ここでは王維の「竹里館」詩意図をめぐって,文人の詩画表現の歴史的・地域的変容について考察したい。第一に総合的視点,即ち「竹里館J詩意図の概要,第二に垂直軸的視点,即ち中国における「竹里館」詩意図の歴史的変遷,第三に水平軸的視点,即ち18世紀における中国,日本,韓国の「竹里館」詩意図の比較対照について考察を試みようとするものである。一「竹里館」詩意図の概要周知のように,竹里館というのは王維の「網川荘」にある華子商,丈杏館,斤竹嶺,鹿柴,臨湖亭など二十景の中のー景に描かれた建物の名である。その朝川荘は隈西省藍田!日系に構えた王維の別荘であり,王維は42歳ごろから56歳まで,精神的にも生活的にも最も充実した時期をそこで過ごした。「人傑地霊」というように,「車両川荘jは唐代の代表的な自然山水庭園で、あったばかりでなく,文人園林としても最も名高い庭園の一つで,歴代文人画の主要なテーマとなってきた。唐末の董源,巨然をはじめ,宋の米苦,元の悦雲林,元の四大画家,明の文徴明,沈石田,董其昌など多くの作品を数えることができる。王維には,最も親しかった詩友斐迫と唱和した「網JI!集二十首」五言絶句の連作がある。その中の最も人口に謄来したものの一つである「竹里館」詩をここに示しておこう。独坐幽筆裏弾琴復長晴深林人不知明月来相照来過竹里館独り坐す幽筆の裏琴を弾じ復た長暗す深林人知らず明月来りて相照す来りて過(よぎ)る竹里館麗芸一一王維-59-

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