鹿島美術研究 年報第17号別冊(2000)
703/763

体験に共通するのは,祈祷膜想の際,板絵や彫像のキリストないし聖母子から,音声による親密な会話,さらには身体的接触を伴う生気豊かなヴィジョンを得ることである。しかも後年ほど,修道女や在俗信徒の一般女性の例が漸増する。托鉢教団運動が民衆教導に努め,信仰を個人の内面に深化させようとしたとき,実質的に問われたのは祭壇に向かう個人の祈祷礼拝の内実,信仰膜想のあり方であったから,祭壇上の画像に対峠しての祈祷膜想から何を見出し得るのか,その模範的な体験を明確かつ生々しく例示した身近な聖人福者こそが,民衆の注目と崇敬を集めたものと見られる。画像礼拝祈祷の飽くなき努力も賞賛された。シエナ貴族の在俗信徒であった福者アンドレア・ガレラーニ(? -1251 ? )は,礁刑像に幾昼夜も祈り続け,睡魔を恐れて天井の吊り紐で首を支えていた(注目)〔図5〕。彼の祈祷修行は,画像祈祷礼拝の情熱がまさに極端な形をとった例であろう。シエナの聖カテリーナの幻視体験に至っては,彼女が日々眼にしていた同時代のシエナ絵画の影響下にあったことが言明されている(注15)。いかに祈るべきか?一般市民にとり,同じ在俗の身から福者・聖人となった人間の存在は,魂の救済の可能性が身近にあることの証明でもあった。13世紀後期以降,市民は托鉢教団の諸聖人を模範として,画像に対峠する祈祷礼拝に強い関心を抱き始めることとなろう。なお,すでに1260年頃,ドメニコ会の諸修道院では「修道士たちが個室に彼女[マリア]や楳刑に処せられた彼女の息子[イエス]の画像を置いて眼に入るようにしており,読書や祈祷,就寝の際には[その画像から]お見守りを受け,また修道土たちの方では,受難に感じ入る眼差しでその画像を見つめていた」(注16)という。13世紀中頃のボローニャでは,開祖聖ドミニクス(1170頃−1221)が自ら行なったとされる九つの祈祷の身振りと姿勢,その意味をまとめた『祈祷指南(Demodo orandi)』が編纂され,祈祷膜想形式が身体儀礼として強化されており(注17),魂の祈りを形からまねぶ修道士らは身体の姿勢や方向を意識して祭壇上の木彫・板絵画像に対峠する傾向にあった。『祈祷指南』写本挿画(ヴァテイカン使徒図書館,Ms.Lat. Rossianus 3 ) (注18)〔図6〕にみる聖ドミニクスは,さまざまな姿勢と仕草をなす九祈祷のうち,八祈祷においてゴシック式の小さな二連式祭壇画を安置した小祭壇に向かう(注19)。また1300年頃のフランスで制作された修道女用教導書『善魂の三段階(Tresstaz de bones ames)』(ロンドン,ブリティッシユ・ライブラリー,MSAdd. 39843, fol. 28)では,ー修道女が祭壇上の「聖母戴冠j像に合掌脆拝して悔俊の祈りを捧げ,次いで上体を692

元のページ  ../index.html#703

このブックを見る