鹿島美術研究 年報第17号別冊(2000)
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屈めて祈祷膜想をなしながら,茨冠のキリストが聖血を滴らせるヴィジョンを得る(注20)。いずれにおいても,画像を前にした祈祷膜想とそこから得る霊的なヴイジョンを推奨する傾向が認められよう。初学者の祈祷修業は画像の凝視から始まって高次の神学教理膜想に進む。キリストの受肉や受難をめぐる膜想は,身体的・心的に理解され想起される視覚的画像を介して深まるのであり,祈祷膜想修業における画像の効能は13世紀後半にほぼ承認されつつあったといって良い。聖トマス・アクイナス,聖ボナヴェントゥーラ(1221-74,フランチェスコ会土)は,信仰の介助品として画像の再肯定を示す。「私たちの眼に日常的に示されることによって,受肉の神秘と諸聖人の範例が私たちの心により良く刻まれ…信仰の感情を刺激する」(アクイナス)(注21)画像は,「肉体の眼にとって存在する形象の中に同じものを見たときには少なくとも感動する」という人間の「感情の怠惰」(ボナヴェントゥーラ)(注22)を補う上で,有用なのである。画像を「日常的にJみる信仰修業を実践して私室に画像を置いた托鉢教団修道土らが,民衆教導の手段として画像祈祷を,板絵や木彫疎刑像との対峠を教導するのは当然の成り行きであろう。托鉢教団の活動は,個人礼拝用の小さな板絵や楳刑像の需要と生産とを著しく促進するのである。3. 14世紀後半15世紀の在俗信徒会と個人礼拝用画像の一般普及さて,14世紀初頭に湖る小型板絵の現存作例の多くは,かつての托鉢教団修道士や修道女が所有した貴重品である。シエナのドウツチオ(1225頃−1318/19)工房は,聖堂用の大規模な板絵祭壇画制作のほか,この種の小規模な個人用祭壇画を数多く手がけた(注23)。フィレンツェのジオット派,たとえばベルナルド・ダツディ(13世紀末−1348)も同様である。横幅20-30cm前後の板絵からなる開閉式の小型祭壇画は,携帯に便利な宗教画像として,托鉢教団の人々の好むところであった。なおカステイリア王アルフイオンソ十世が所有した『聖母煩歌集(Cantigas de Santa Maria) j (マドリッド,エスコリアル,Ms.T. 1 , fol.17, 1265以降)の物語挿画は,木彫礁刑像と板絵が並ぶ店頭で「エルサレムにやって来た旅の修道士jが一枚の聖母子像板絵を購入する様子を描く(注24)。これは,13世紀中頃に楳刑像や聖母子像板絵の吊るし売りをする店が存在したこと,少なくとも宗教画像の売買が市民に縁遠いものではなかったことを示唆するものだろう。693

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