唱,会員問での憐悔を行なったらしい。さらに隣接する寝所(dormitorio)での仮眠の後,信徒らは沈黙を守って夜明け前に再び集い,朝祷(mattutino)を終えて解散する。また,同会員は年間一定量の小麦粉とワインを寄付して困窮者の救済にあたるが,医師・公証人・判事らは職能をもって奉仕すれば寄付を免除するという制度まで設けていた(注27)。中世末期以降ルネサンス初期の市民は,公私にわたる信仰実践を通じて良きキリスト信者たることを証明し,臆罪の確信を得ょうとする。定期の信徒集会,社会的慈善活動を通じて信仰を表明する在俗信徒会員が,さらに私生活においても同様の信仰態度を貫くべく自宅に宗教画像を安置し,同様の礼拝祈祷を自宅で実践するのは当然の成り行きだろう。ライデッカーによれば,14世紀末のトスカーナ市民の私宅は台所に至るまで何らかの宗教画像で満たされ,使用人所有の画像まであったという(注28)。プラートの商人マルコ・ダティーニ(1335頃−1410)は,自宅戸口上に旅行の守護者として聖クリストフォロスのフレスコ画像を描かせた(注29)。家庭内における宗教画像の使用について,枢機卿フラ・ジョヴァンニ・ドミニチ(聖ドミニチ,1355/6 1419) は小鳥や花を持つ聖母子像,童貞聖女や少年聖人の画像を見せて子どもの教育に利することを奨め,「沢山の絵画により家の中をまるで神殿のようにする」ことを推奨する(注30)。また,画家ネーリ・デイ・ピッチ(141991)の『覚書Ricordanzd(1453 75) にみる板絵注文のメモには,注文主または誰それの「居室用(dacamera) Jの聖母子像板絵,といった記述が多数あって,注文主も画家も私邸内の特定の部屋のために宗教画像を説えることを明らかに意識していたとみられる(注31)。14世紀後半から15世紀を通じて,室内調度品として自宅内に宗教画像を飾ることが市民の間で急速に習慣化したのは,在俗信徒会の増加拡大とともに,公私にわたる信仰実践の一部として,宗教画像の私有が世俗市民の道徳的倫理的ステイタス・シンボルと化したためであった。4.おわりに:祈祷礼拝画像の氾濫本論冒頭で紹介したジョヴァンニ・モレッリの画像祈祷礼拝(1406,07年)はおそらく,彼自身が在俗信徒会で実践していた信仰修業の内容を反映するものだろう。モレツリが所属した在俗信徒会は不明だが,画像の抱擁と接吻,ラウデの一種である『サルヴェ・レジーナ』の朗唱は,在俗信徒会における市民の礼拝祈祷形式を連想させる。ルネサンス絵画興隆の母胎として一一
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