注なおまさに同じ頃,シエナの聖カテリーナの薫向を受けたフラ・ライモンド・デイ・カプアの弟子で,ドメニコ会土としてヴェネツイアのコルプス・ドミニ女子修道院の開設指導(1406−)にあたっていたフラ・ジョヴァンニ・ドミニチは,ピアンキの鞭打行列(1399)を擁護したかどで追放処分を受けて帰国,トスカーナで説教を開始して民衆の崇敬を集めつつあった。ドミニチらがフイレンツェ近郊フィエーゾレに設立したサン・ドメニコ修道院(1406)がトスカーナにおけるドメニコ会厳修派の最初の拠点となり,同院に迎えられた画家グイド・デイ・ビエトロ,つまりフラ・アンジェリコ(1390年代後半1455)が,フイレンツェのサン・マルコ修道院ドルミトリオの70点余のフレスコ画装飾(143845頃)を手がけて修道士の画像祈祷慎想に貢献したことは周知の通りである。アンジェリコにサン・マルコ修道院絵画装飾の構想を指示した同修道院長,フラ・アントニーノ・ピエロッツイ(フイレンツェの聖アントニヌス,1389-1459)は,後年フィレンツェ司教となり『神学大全』(注32)を著したことで知られるが,彼こそは在俗信徒会「聖ヒエロニムスの洞窟信徒会jの活動を強化拡大した指導者でもあった。ジョヴァンニ・モレッリが生きた15世紀初頭のフィレンツェとは,ドメニコ会厳修派の活動のもと,在俗信徒会の市民が個人の祈祷礼拝や膜想修業のために画像を競って説えつつあった商工都市にほかならない(注33)。悪魔除け,家庭生活の守護なに在俗信徒会市民の画像観については更に詳細な検討を要する(注34)が,まさにドメニコ会厳修派が活動を始めた当時のフイレンツェには宗教画像があふれ,ルネサンス絵画の大いなる開花を準備していたものと思われる。托鉢教団の指導のもと,14世紀後半に拡大増加した在俗信徒会は,市民の信仰実践意欲を一層かきたて,個人による画像祈祷礼拝の習慣,宗教画像の私有を急速に普及させるとともに美術市場の拡大に拍車をかけ,ルネサンスの基盤を準備したのである。Tr巴xi巴r,Public L俳inRenaissance Florence, NewYork, 1996 (1991, 1980), p.173.に抜粋。pp. 49, 107. F ・アンタル『フイレンツェ絵画とその杜会的背景l中森義宗訳,岩崎美術杜,1968年,pp.74, 1440 (1) Giovanni Pagolo di Morelli, Ricardi, 456, ed. V. Branca, Fir巳nz巴,1956,なおR.(2) F. Antal, Florentine Painting and Its Social Background, London, 1986 (1948), 696
元のページ ../index.html#707