には正統イコンを重んじる伝統的な画像概念の継承が認められる(M.Meiss, French Painting in the Time of Jean de Berry, London, 1967, pp. 41 42)。ベリ一公にとり,トスカーナの板絵は大衆用の贋造品に過ぎなかった可能性が高い。一方,同時期のトスカーナでは篤信ゆえに板絵画像を新規に説えて自宅内に安置する習慣が市井の商工市民に普及していた。子どもの出産を神に感謝し産婦を称えて絵画装飾を施した出産祝い盆(デスコ・ダ・パルト)や,愛と結婚をめぐる道徳的寓意画を描いた婚礼用長持(カッソーネ)など,きわめて私的な契機に基く世俗的絵画美術品の流行も,137080年代に発する現象である。これらは市民の間で絵画の私有・愛好習慣が生じたことの証明をなす(C.De Carli, I deschi da paバ0e la pittura del primo Rinascimento toscano, Torino, 1997および拙稿「デスコ・ダ・バルト:15世紀トスカーナの家庭内美術品J,『伝統と創造J,兵庫教育大学古川治教授退官記念論文集,人文書院,2000年)。市民個人が新規に礼拝用画像を説え私有する習慣があったからこそ,15世紀開幕期のトスカーナは大きな美術市場を擁し,その成熟を迎えていたのである。凶在俗信徒会市民の画像観を示唆するのは以下のような事例である。まず,獄中または処刑直前の罪人の眼前に受難図や天上界を描いた小板絵を掲げ,信仰の堅持と魂の平穏を祈る活動を行なっていたローマの「斬首の聖ヨハネ大信徒会(Archconfraternita di San Giovanni Decollato)」(1488)の起原は,フイレンツェのサンタ・マリア・デッラ・クローチェ・アル・テンビオ信徒会(1342−)から派生した「黒衣信徒会(Compagniadei Neri) J (15世紀前半)にあって,いわば「被処刑者に対ーする視覚的麻酔剤Jとしての絵画使用は15世紀前半に発する現象である(S. Y. Edgerton, Jr., Pictures αnd Punishn附ing the Florentine Rεnαissαnee, Ithaca and London, 1985, pp. 165, 172 173. )。なお同様の活動をなす在俗信徒会員の姿はミラノのヴイスコンテイニスフォルツァ家に由来する『階層論D巴sphaera.]写本挿画〔図7〕(1450”60年頃,モデナ,エステンセ図書館,MSLat. 209, fol. 6 )にも見受けられる。このほか,フラ・ジロラモ・サヴォナローラ(1452-98)の晩年の説教録である通称『往生術Jこと『往生術に関する1496年11月2日付説教(Predica舟ttail 2 novembre 1496 dell’arte del ben morire).]の木版写本挿絵2点〔図8〕(フイレンツェ,国立中央図書館,Cust. E. 6)からは,市民の住居室内に安置された聖母子像トンドと木彫楳刑像の機能700
元のページ ../index.html#711