2.詩題と詩語による「竹里館」図〔図2〕むしろ画家であることにひそかな自負さえ示している。「竹里館」図を含む王維の「網川図jについては,唐代の張彦遠『歴代名画記』巻十に「工みに山水を画き,体は今古に渉る。…清源寺の壁上に朝川を画けるは,筆力雄壮なりjと記されている(注6)。その「胴川図」は残念ながら現在伝えられていない。しかし,王維の「桐J11図jの影響は時代を越えて長く続き,「朝川図jをテーマとする詩意図は現存するものだけでも約30点が数えられる。特に明代,清代には多くの模本や刻本が残された。こうした中で,「竹里館j図は次第に「網J11図」のシリーズから離れて独立して制作される傾向を見せ,詩意図の主題の一つの典型例として独自の歴史を形成してきた。三中国における歴史的変遷唐代以後の中国文人による「竹里館」詩意図の変遷について,それぞれの様式の代表作を挙げて考察する。詩意図の主な要素についての歴史的変遷の跡は〔表l〕に示した通りである。1.詩題による「竹里館」図〔図l〕これは明代の石刻拓本「郭世元事郭忠恕網川図」(1617年)に代表されるもので,深い竹林に立つ竹里館だけが描かれ,詩を伴わない絵画作品である。宋初の画家郭忠恕の作品を原本としたもので,現存する「竹里館」図の中では最も古く,かっ最も信頼できる作品として考えられている(注7)。この作品は横長の五つの画面を継いだ、形を取っているが,「竹里館jという文字は第三と第四の画面の継ぎ目の左上隅に見える。深い竹林に固まれた竹里館の建物が描かれているが,人はいない。また琴がない,月も見えないという点で,詩題のみによって描かれた「竹里館」詩意図であると言えよう。これを第一段階の様式と考える。これは明代の宋旭筆「倣王蒙朝川図J(1574年)の中にある作品である。深い竹林に固まれた竹里館の室内で,一人の高士が弾琴する姿を写した詩を伴なわない絵画作品である。原本となった王蒙は元代の画家であるが,宋旭はよく王蒙を写したと評されている。「王維と宋旭をつないだ王蒙画は,見ることができないJが,一方,「宋旭の-61-
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