3.詩語による「竹里館j詩画双幅図〔図3〕独自の見事な別乾坤として転生しているjと言える(注8)。群山を背にした深い竹林の中の竹里館に高士が一人坐って,悠然と琴を弾じている。この図には竹里館が描かれているため,「竹里館」という詩題によるものであることは明らかである。また「独坐Jや「弾琴jという詩語も絵画化されているため,この作品は詩題と詩語を融合させた「竹里館」詩意図であると言えよう。ただし,詩語の中の一つ「明月jは描かれていない。また,明代の胡震亨の『唐音発筆J巻五に引く「震沢長語」に「摩詰は淳古淡泊の音を以て,山林閑適の趣を写し,車問川諸詩のごときは,真にー幅の無色の水墨画である」(注9)と述べたように,宋旭はこの作品において詩人と画家の目で「網川荘Jにおける静気高妙の境地を表している。しかし,この作品は絹本著色であり,色彩で描かれている点については,かつて貝塚茂樹氏が次のように指摘されたことがある。「淡彩山水画の新しい様式を創造したのである。そしてこの様式が宋元以後の文人画の正道となった」と(注10)。これを第二段階の様式と考える。これは明代の木版本『唐詩画譜』(1600年頃)の中にある「察元勲筆竹里館図」に代表されるものである。竹林の中で弾琴する一人の高士が描かれた詩画双幅図である。『唐詩画譜』は明末の黄鳳池が編纂したもので,唐詩から選んだ名詩を著名な書家と画家とが書と画を書き,精巧に木刻された版本である。刊行された当初から広く受け入れられ,何度も復刻された。また日本にも伝わって,例えば,日本復刻本『八種画譜』(1672年)など再三,復刻され,銅版刻印本まで作られた。この詩書画を一体化した「竹里館」図は,当時の士大夫の情趣的生活と市民階級の審美的理想を合致させたものと言えよう。「詩が感動を十分に表せないとき,書を書き出す。更に画に描いて表すJ(注11)という文人的実践として,程滑が『唐詩画譜』序に「詩を詠じることによって文の神を探り,字を臨することによって文の機を求め,画を書いて文の巧を窺う」と書いた通りである(注12)。察元勲の作品には,詩題である「竹里館」という建物は描かれていないが,詩語である「独坐」ゃ「弾琴」「明月」が明らかに描かれている。したがって,この作品は詩語による「竹里館」詩意図であり,しかも完成度の高い模範的なテキストであったと考えられる。62
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