適用していた。日本の絵画において画中に「真景図」という語が記された唯一の例は,寛政9年(1797)の谷文晃の〈那智真景図〉であることから,文晃は日本の「真景図」を考察する上で,重要な役割を持っと考えられる。「真景図」は二つのタイプに大別できると考える。一つは,個人的な印象をこめて実際の風景を描く作品で,池大雅とその周辺の画家といった関西を中心に活躍した画家による。もう一方は,現実的な,記録性の高い風景の再現で,文晃と周辺の画家たちのような関東を中心に活躍した画人による。「南画」における議論のごとく,「真景図」においても,「関東真景図」と「関西真景図jの区別が必要であると考える。なぜなら,「関東真景図」は主に絵画論で論理され,絵画自体は常に理想的,個人的景観の再現,つまり,画家の心象表現であるのに対し,「関東真景図jは絵画に「真景」と付題し,その風景表現は迫真的,記録的様子をみせ,むしろ客観的作品とみなせるからである。関東と関西の文人画家の傾向の相違をみる一例として,同じ画題でも主題の解釈が大きく異なることが,文晃と同時代人の文人画家,野巴介石の〈熊野真景図巻〉と文晃の〈熊野舟行図巻〉との比較で解る。第一に,制作者の視点の位置が挙げられる。介石は船中からの接近した視点で次々と展開する景観を臨場感豊に描き出すのに対し,丈晃は川との聞にかなりの距離を置いた視点をとり,全体を高所から見渡すように描き,観音に冷静な記録的雰囲気を与える。第二は対象の質感の追求における相違で,介石が岩や丘や樹木等の質の相違に拘わらず,全画巻に一貫した筆法を使用しているのに対し,丈晃は多種多様な地形を描き,岩石辞典のごとき岩の描き分けをしている点にある。-725-
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