5.詩語による「竹里館j図〔図5〕これを第三段階の様式と考える。4.詩語による「竹里館」詩画同図〔図4〕これは清代の再之鼎(1647〜1709)の「王士禎幽筆坐嘱図」に代表されるものである。竹林の中で弾琴する一人の高土が描かれた題画詩を伴う作品である。この作品は『唐詩画譜』にある「竹里館J詩画双幅図とは異なり,詩書画を同一画面に収めている。『唐詩画譜』にある「果元勲筆竹里館」図と同じように,詩題である「竹里館」は描かれていないが,詩そのものが書かれ,また詩語である「独坐j「弾琴」「明月jも明らかに描かれているため,これもまた詩語による「竹里館」図であると言えよう。ここで注目しなければならないのは,描かれている人物が王維その人ではなく,当時の詩人王士禎が代って描かれていることである。王士禎は王維を崇拝し,その詩論においては神韻説を提唱した詩人である。再之鼎があえて王維を王土禎と入れ替えたのは,それまで想像の世界に止まっていた「竹里館J詩意図に,より身近な現実感を与えるためと言ってよいかもしれない。これは第四段階の様式とも言え,また,第三段階の様式の一つの変形であるとも考えられる。最後の段階に当るものが,現代の張大千(1899〜1983)筆「竹韻琴趣図」(1929年)に代表されるものである。単に竹林と弾琴図とを組み合わせただけの詩を伴わない絵画作品である。ここには「竹里館」詩は題されていないが,詩題である「竹里館」とともに詩語である「独坐jや「弾琴j「長暗」が描かれている。その点から言えば,これは「竹里館J詩意図であるといえる一方,画の内容は「竹里館J詩とは全く関係がなく,「竹里館j詩的なイメージだけを描いた「竹里館図」であると言えよう。すなわち,全く新しい形の「竹里館」詩意図が出現したのである。こうした様式は,後世には広く一般化されてくる。この傾向は中国だけではなく,日本でも韓国でも共通して見られる様式的変化である。これを第五段階の様式と考える。以上述べてきたように,まず詩題だけの段階,次に詩題と詩語の段階,それから詩語だけの段階を経て,最後に詩題も詩語も明示しないという中国における「竹里館」-63-
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