は一挙に広がって,華やかな画面構成である。実際のディメンション以上に広がったような効果が仕組まれている。枠の総体にも唐草丈が装飾される華麗な衝立である。衝立,枠とも技法はすべて,大変精巧な青貝細工。飽貝のほかに一部夜光貝が使用されている。枠の唐草丈の裏面には彩色がなく,銀箔のみが貼られているが,衝立の加飾はすべて銀箔と裏彩色,墨線描きが薄員裏面に施され,一部貝表面に細娘彫りも加えられている。一般に長崎螺銅と呼ばれる青貝細工である。長崎螺銅はその制作地が京者問、長崎かと議論されているようだが,当作品は通常の多くの長崎螺銅に見られる特色に指摘される,色彩が溢れるように過剰であり,図案化された独特の花鳥というような意匠とは異なっている。図の構成やタッチが非常に絵画的で,その意味では,川原慶賀原画のシーボルト遺品,「シーボルトの妻と娘」に近い。「雛を伴い菊叢の横で啄ばむ雌雄鶏図」は特に,画面に空気の動きを感じさせるような一種詩的とも言える意匠構成である。「祇園祭りj面も図案化された筆法とは言えず,物語的な一種の時聞が画面に流れる。画題だけではなく,京風な繊細さを筆者は意匠から感じるが,制作地が京都であるか,長崎か,考証には未だ資料が不十分である。修復前には劣化が全体に及び貝片は大きく歪んで、波打っていた。1990,1994年に輪島島口慶一氏によって修復された。②薄端一対:収蔵番号357.00,358.00直径30.5cm高さ44.3cm署名真眠斎兼周明治初期に輸出用に制作された和洋折衷の形態と意匠の薄端。広口の内部には玉持ち龍が銀象最される。本体は細身に作られ,両脇には上下に大きく広がる装飾化された洋風唐草の両耳が付く。台部は三唐子が薄端を背負う。本体両面には,川中島の武田信玄か,四菱紋を付ける武将が混じる談義中の武士4人,岩に牡丹,千成り瓢箪らしき幕が下がる,その前に馬上の太閤秀吉と兵隊などが中央窓内に薄肉の浮き彫りで細工されている。薄端の広口外縁にはユーモラスな仁王,福神等などが円に極薄肉で浮き彫りされている。色絵,据文象献,赤銅,石目など万装具の高度な伝統技法と意匠を駆使して薄端を惜しみなく飾る。江戸期に頂点に達した技術を手に持つ工人たちが,新時代に生活の糧を求めて,西洋市場に販売路を求めて制作した和洋折衷の輸出品であろう。作品の形態,コレクションの終了期による下限などからウィーン万博(1873)に近い時期の制作であろう。736
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