鹿島美術研究 年報第17号別冊(2000)
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回廊をめぐるいくつかの部屋が展覧会場に充てられまさしく居ながらにしてベラスケスの世紀にタイムスリップできるという,粋な趣向が凝らされていた。南国とはいえ,11月のセピーリャの風は肌寒く,礼拝用のむくの木製ベンチは硬く,暖房もなく,かなり底冷えがしたけれど…。シンホ。ジウムはベラスケスとイタリア,ベラスケスとセピーリャ,ベラスケスの知性(教養),ベラスケス絵画の諸ジャンル(画種),ベラスケスと17世紀宮廷文化,テーマとしてのベラスケスの6部門からなり,各部門は基調講演(confer巴ncia)を冠し,複数の基調報告(ponencia)と若手の研究発表(comunicaci6n)で組み立てられていた(併せて40本以上)。基調講演や報告者としてプラド美術館長フェルナンド・チェカやスペイン絵画史の第一人者でニューヨーク大学のジョナサン・ブラウン,スペイン史の権威ジョン・エリオット,エル・グレコ研究で著名なフェルナンド・マリアス〔図2参照〕等,スペイン並びに欧米の一流の専門家が顔を揃えており,報告者も日本スペイン・ラテンアメリカ美術史研究会の代表として彼らと個人的に面識が得られたのは有意義なことであった。特に初日の感動というか成果は,「ベラスケスとセピーリャ」と題された特別展を一同で鑑賞できたことである。セピーリャ時代のほぼ全作品(数点を除く)が師で岳父パチェーコや先輩画家たちの作品とともに,史上初めて一堂に会したのである。しかも,それらが描かれたセピーリャの光と空気の下で。この意義は大きかろう。長年ベラスケスに携わってきたエンリケタ・ハリス女史は,開会記念講演でイギリスにおけるベラスケス受容史と作者帰属の難しさを話されたが,新帰属の〈聖ペテロの涙〉(個人蔵,スペイン)の絵の前で同女史は疑義を抱かれたのに対して,マリアス教授が「まあ悪くはないがJと反論したのも印象に残った。本展でとりわけ注目すべきは,巨匠の青年時代の素顔と実態を浮き彫りにしたことと並んで,その師パチェーコの作品が油絵ばかりか,珍しい素描までも展示して師弟のつながりと,その差異を実証してみせた点ではなかろうか。「無原罪の御宿り」のポーズや図像学上の類似,花や査といった静物類の描写と“ボデゴン”との関連,さらに両画家の肖像表現や四本釘の“疎刑”図像の問題が会場において論じられた。報告者個人の発見としては,これら油彩やデッサンを通して,理論家,教養人,異端審問所の聖像画検査官でもあったパチェーコはそれらの該博な知識もさることながら,従来そう信じられてきたほど“凡庸な画家”ではなかったという事実であった。744

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