鹿島美術研究 年報第17号別冊(2000)
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2.韓国の金弘道「竹裏弾琴図」〔図7〕みよう。まず「独坐」という点については,『唐詩画譜』においては詩意の通り,画面には登場人物をただ一人に止めている。一方,大雅の方は高士の他に侍童二人を描き込んでいる。これはこの詩意図だけではなく,「竹裏弾琴図jにも同じく,侍童一人を描き加えている。また「弾琴jという点については,『唐詩画譜』のほうは深く沈潜する心情を述懐する静かな描写であるが,一方,大雅のほうは激しい心情を吐露する動きのある態度である。更に「明月」については,『唐詩画譜』では詩語の通りに満月であるが,大雅は月の描写を完全に省略し,月光に満ちた風景を暗示的に描写しているだけである。これは大雅の代表作『東山清音図』の中の「洞庭秋月j図の画面にも月を省略していることを思い起させる。こうした絵画内容の変容を通じて,大雅が示した中国文物への理解や日本的受容における独創性が明瞭に跡づけられると考える(注15)。韓国の絵画史を遡ると,十五世紀の朝鮮初期の図面署の画員安堅が宋代の李郭派などの画風を摂取したことを始めとして,次第に明代i折派の影響などを経て,17世紀の朝鮮中期になると,真景図を描き,韓国風山水画が成立した。特に17世紀から18世紀までの朝鮮後期になって清初の個性派文人画の影響を受けたことが判る。ここでは,18世紀における宮廷画家金弘道(1745〜?)の「竹裏弾琴図」を取り上げたい。金弘道は朝鮮後期の画家で,字は士能,号は檀園,丹郎,西湖,高眠居士。山水・人物・花鳥画いずれも巧みで,多方面に亙って才能を発揮し,18世紀のみならず,韓国絵画史の中でも巨匠の一人と考えられている。「彼は容貌が秀でて’性格が大胆で,神仙のようであった」(注目)という。その「大部分の作品は個性の強い彼の独創的世界を見せている。」(注17)王維の詩意図もたびたび描いていた。例えば,王維の網川詩の中のもう一首「終南別業」による詩意図は,少なくとも現在二例以上残されている。中国文人に対する憧れは金弘道の絵画の題材から十分に窺われ,宋代蘇戦の「赤壁賦」による「赤壁夜汎」詩意図などの例も挙げることができる。ここで,金弘道の代表作の一つである「竹裏弾琴図jを見ょう。「独坐」という詩語があるにも拘らず,画面には高士の他にもう独りの侍童を描き込んでいる。この点では大雅と同じく詩語に対する理解の変容が感じられる。更に「明月」については,金弘道は大雅ほどの省略はしていない。即ち,月を描かないのではなく,描いてはいるが,その月は明るい満月ではなく,おぼろ月である。この点は中国の再之鼎の「王士-65-

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