籍も盛んに輸入され出回っていた。その意味でも,「ベラスケスとセピーリャ」展と並んで,ムリーリョの家で開催された「ベラスケスの蔵書j展(注9)は有意義な企画であった。画家の死後に作成された遺産目録に154冊の蔵書が記載されているものの,その後それらは散逸してしまった。それらの書名や著者から割り出してベラスケスの蔵書を再現したのが同展であり,ユークリッド,プリニウスからデューラー,パラーデイオに至る古典や建築論,絵画論,解剖学,天文学,図像学その他の書籍が並べられ,ベラスケス絵画の教養ある背景が浮き彫りにされたのである。〈ラス・メニーナス〉の画家は単なる技巧派ではなく,絵筆を右手に書物を左手にする知性の芸術家であった。その片鱗は初期の名作〈セピーリャの水売り〉にも認めることが出来る。静物でありながら,大胆な配置の水瓶が生ける肖像と化しており,素焼きの表面を一瞬流れ落ちるその水滴はフェルメールの真珠にも匹敵する。ベラスケスの眼は印象主義的である以前に実証的,経験主義的である。この画家がガリレオ,デカルトの同時代人であったことを忘れるべきではないだろう。最後に,シンポジウムを締めくくったのはブラウン教授の閉会記念講演だが,「ベラスケスとベラスケーニョ(ベラスケス風作品)Jと題された衝撃的な内容であった。本年クリスティーズで,ベラスケス作として競売に付された問題作〈聖女ルフイーナ〉を話題の中心に据え,今日,ベラスケスの真筆として広く一般に認知されている作品の中には真筆と共に,異例に高い質の工房作(コピー)が含まれると警告し,両者の峻別と,工房の実態、を究明する必要性を訴えた。そして,後者の例として〈聖女ルフイーナ〉の他,プラド美術館の〈マルガリータ王女〉やメトロポリタン美術館の〈フェリペ四世〉等が挙げられると説いた。同教授によれば,ベラスケスは原則として,同一テーマを自ら繰り返して描くようなことはしなかった,という。いずれにせよ,ロペスレイが1963年にベラスケスの作品総目録を刊行してから既に半世紀近い。新たなカタログ・レゾネの作成が期待されるところである。こうして4日間,250名の参加者を得ての国際シンポジウムは幕を閉じた。実行委員長アルフレッド・モラーレスの閉会の辞は全体を見事に要約しているので,その一部を引用しておこう。「ベラスケスは揺藍の地セピーリャイタリア旅行そしてマドリードの宮廷文化に学んだ比類ない知性,天才画家であると同時に,一人の生身の人間であったことも忘-747-
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