⑦ 橘林窟第3窟山水画について研究者:中国敦煙研究院助理研究員一序論検林窟の第3窟は,全体として長方形のプランを持ち,その真ん中に仏壇がある。天井は浅いドームの形状をして,窟頂の中央に金剛蔓茶羅図を描いている。窟の四壁の壁画の配置は〔図l〕の通りで,それぞれ経変図や蔓茶羅図がある。権林窟第3窟西壁門の両側には,文殊変,普賢変が描かれる。門の北側に,高さ375センチ,幅250センチの文殊変が描かれる〔図2〕。上部左側と下部右側の一部が破壊されているが,画面の中央部に獅子に乗っている文殊菩薩および春族など18人が海をわたっている様子を現している。その上部に山水,建築が描かれ,画面の1/3ぐらいを占めている。下部には海と近景の山水と樹木が描かれる。門の南側には高さ365センチ,幅204センチの普賢変が描かれている〔図3〕,画面の構成は文殊変と同じぐらいで,中央には象に乗っている普賢菩薩とその春族を現し,その周囲を山水が囲んで、いる。特に上部の山水が画面全体の半分ぐらいを占める。文殊変,普賢変の背景の山水風景は,仏教石窟に現われた水墨山水面として注目されている。文殊変と普賢変に山水画を描くのは唐代の壁画から始まった。莫高窟第172窟東壁門の両側,第159窟の西壁寵の両側に描かれた画像表現がその代表的な例である。五代期以後,文殊変と普賢変にもっと詳しく山水背景が描かれるようになる。中唐時代の第159窟と検林窟五代第16窟の文殊変銘文によると,背景になる山水風景は,五台山である。大部分の窟に普賢変の銘文は残っていないが,莫高窟第159窟の普賢変下部の扉風式山水図に残った銘文によると,五台山の一部であることが分かる。検林窟第3窟の普賢変には普賢菩薩の後ろに立っている老人の姿は,文殊変にも見られるように,仏陀波利という人物だと認められる。そこで,文殊変と普賢変の背景山水は,いずれも五台山の風景だと考えられる。以前,普賢変の背景は四川省の峨崎山だという説があったが,調べてみると,仏典の中には直接峨帽山と関係がある経文はない。中国の峨開山が普賢菩薩説話とつながって,いろいろ伝説があらわれたのは,もっと後の時代で,少なくとも明代以後のことだと思われる。従って,敦埠壁画にある普賢変も,峨崎山と関係があるという証拠は今まで見られない。最近の莫高窟第61窟に関する研究によると(注1),五台山信仰は唐代後期から敦僅に影響が及んでいたことが明らかで越声良一73-
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