の木の枝と下部根しか見えない。こうして表現された林は画面中部と右側の谷にもある。このような表現は超令穣の「湖荘清夏図」〔図9〕や米友仁の「濡湘図巻」などにも見られる。元代李容謹の「漢苑図j〔図10〕や供名の「明皇避暑宮図」にも見られ,元代に至るまで流行した表現方法だと考えられる。検林窟第3窟の壁画の表現は少し形式化されていると感じられる。にもかかわらず,画家が丹念に多数の箇所に描いているのは,当時の画家たちにとって得意な手法だ、ったからであろう。ちなみに,「米氏山水Jと言えば,ここの樹木だけではなく,同窟の門の上,維摩経変図にも小さい山水画面があり〔図11〕,山峰の表現は水墨で、濃淡により,山水の遠近関係を表している。全体的にまったくの没骨水墨山水面で、あるが,米友仁の「遠山由晴雲図」〔図12〕と比べ,筆墨の方法は大体同じである。これも米氏山水画の特徴が見える。近景としての樹木は,やや強い筆力で,詳しく木の枝を描く。写実より,筆法の形式化を強く表している。文殊変の左側近景山水の樹木における枝の表現は,このような筆力の強さが特徴である〔図13〕。これは南宋時代の馬遠の作品によく現われた特徴である。「華灯侍宴図J,「雪山襲鷺図」等にも見られる〔図14〕。寒林の表現,つまり北方地域の森林様式は南宋李唐の作品によく見られるが,その源流は北宋にも見られる。普賢変山水図に見られる一部の樹木は,この系統である。いずれにせよ,樹木の表現に,北宋の古い様式と南宋の新しい様式が混在して見られる。画面全体では,冬の林もあるし,春の柳もある。季節的にはまったく不明であるが,中国大陸の自然の巨大さを一画に納めようとした試みであろうか。様式として注目されるのは,大量の南宋時代の特徴が見られること。特に検林窟第3窟の壁画は南宋風絵画の強い影響を受けていることが示されている。四文人的な美意識五代,北宋以来,寺院の壁画などを描いた職業画工と文人士大夫画家との階級的な区別がだんだん大きくなった。文人画家たちはより自由に山水,花鳥などを描いて,文人的な美意識を象徴的に表現した。技法の面では,水墨画法の応用や,「毅法」などを多用している。文人画家たちはあまり寺院の壁画などを描かなかった。『宣和画譜Jなど絵画著作で,とくに「仏画jを一つの科目として分類しているのは,文人画と全く違う表現があるからである。今まで、中国各地に残っている寺院や石窟の壁画にも見76
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