③奥原晴湖一一幕末明治期の文人画における粉本学習の一例一一研究者:国立西洋美術館客員研究員江戸時代末から明治時代に活躍した文人画家,奥原晴湖(1837〜1913)に関する筆者の研究は,1987年に始まる。1991年には研究の成果を博士論文として発表し,その後も研究を進めてきた(注1)。また昨年は,鹿島美術財団の助成を得たことにより,本研究は順調に進められることになった。昨年,筆者は,“Copyingthe Master and Steal-ing His Secrets : Talent and Training in Japanese Painting”(ハワイ大学出版より2001年刊行予定)の中で担当する一章を執筆することとし,また以前より継続して行われていた奥原家コレクション(茨城・古河歴史博物館所蔵)の目録制作を進めたが,そのいずれについても着実な成果をあげることができた。本報告では,おもにハワイ大学出版から刊行される共著書に論じた内容を中心に,本研究の内容を簡略に述べる。なお,この共著書に掲載する図版には,今述べた目録制作によって知りえた知見が生かされている。平成10年,古河歴史博物館は,初の絵画担当調査員として平井良直氏を迎えた。平井氏,同館学芸員そして筆者は,川島尚二氏のご協力も得て,1,000点余りにのぼる奥原家コレクションの資料を分類整理し,現在はその編集段階に入っている。この作業によって発見された資料は,晴湖の主要作品における,完成作と習作の関連性を提示する新たな証拠となるものである。ここで一言付言するならば,晴湖の作品を研究してきた者として,筆者がこの研究チームに繰り返し助言したことは,晴湖の絵画には独特なニュアンスがあることである。晴湖の伝称作品には偽作が少なくなく,特に晴湖筆とする新出の絵画を評価する際には,充分な注意が必要である(注2)。以下は,共著書の中の一章(英文約50頁)一ーを要約・和訳したものである。この章では,実際に晴湖の粉本と完成作を示すことにより,その粉本学習のあり方を論じる。本章の前には,粉本に基づく厳格な教育を標梼した狩野派,そして晴湖の師枚田水石が学んだ、谷文晃がとり上げられる。文晃は,狩野派と南画を結びつけ,それを折衷的な様式に発展させた画家であるばかりでなく,数百人にもおよぶ門人たちを粉本によって教育した教育者でもある。すなわちこれに続く本章は,その門人に学んだ晴湖の,作品と粉本の関係を示した「ケース・スタディ」である。江戸時代の画家の訓練法としての,晴湖の粉本学習88 マーサ・マクリントク(MarthaJ. McClintock)
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