鹿島美術研究 年報第18号別冊(2001)
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① 福音書記者シンボルの東西研究者:早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程瀧口美香マタイ,マルコ,ルカ,ヨハネによる四福音書は,ピザンテイン写本中,最も重要なジャンルの一つである。現存する作例数は,他の聖書写本(旧約八大書,預言書,詩篇,使徒書簡,黙示録など)に比べてはるかに多く,福音書写本がピザンテイン社会における写本制作の中で,主要な位置を占めるものであったことがうかがわれる。ロンドン大英図書館には,現在60をこえる福音書写本が所蔵されており,そのうちおよそ40%が挿絵(福音書記者の肖像)を有する。これらの写本はどのように制作され,どのように使用されたのだろうか。実際に制作された写本の外観や内容(写本の大きさ,テキストのレイアウト,対観表や挿絵の有無,挿絵の図像やその配置など)には,どの程度のばらつきが見られるのか。福音書写本に,I標準」と呼べるようなタイプはあったのだろうか。また「標準」があったとすれば,それは時代の変遷にしたがってどのように変化していったのだろうか。このような問いに答えるべく,筆者は大英図書館所蔵の福音書写本の統計的調査を行った。それはいいかえるなら,ピザンテイン社会における福音書の概念がいったいどのようなものであったのか,その一端を探る試みであったといえよう。大英図書館での調査結果は,ピザンテインの福音書写本制作が,全般的に非常に統一的かっ保守的であった,ということを示している。メイエンドルフが述べているように,ビザンティン文化においていつの時代にも変わることのなかった特色は,帝国と教会が神の顕現の表象であり続けたという点であり,そこに表わされる神の姿は永遠かつ不変のものでなければならなかった(注1)。すなわち,時代の変遷にともなって変化していくこと,唯一であるところのものから離れ,それを勝手に変革することは,秩序の堕落であるととらえられた。なぜなら,神の存在は常に唯一不変のものだからである。激動の社会のただ中にあって,教会と帝国は常にその唯一不変のアイデンテイティーを保ち続けなければならなかった。ピザンティン福音書写本群が一様に1. I美術に関する調査研究の助成」研究報告1 . 2000年度助成-1-

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