鹿島美術研究 年報第18号別冊(2001)
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正3年には〈アダムとイヴ},翌年に〈ハリストスに請う人々〉を描いている。さらに通勢は昭和4年13月14日~18日,九如会第l回展(日本橋・丸善)に〈静物}{風景〉〈人体〉を出品J(注22)したという。r牧島知九略歴』の記述と1年の違いはあれ会場は一致しており同ーのものと思われる。さらに同図録年譜によれば九如会は昭和2年術}120号油絵などを出品し,同会は「五ヶ年継続jしたという。九如会については不正教徒の草分の一人であり明治10年代には早くも入信している(注17)。さらに知鳩と河野父子との関係となると,より強いものとして現れる。知鳩は大正元年より5年間「長野市を中心とする三ヶ所の町における各教会を牧会J(注18)しており,長野の信徒長老にもなった重要な信者である次郎(注19)とその子通勢と否応なく出会っていると思われる。長野時代,r牧島知九略歴』によれば「かたわら画を指導J(注20)したという。この「画」がイコンのみを指すのかイコン以外のものも含むのか定かではないが,3つ年下の通勢ともキリスト教と絵画双方を通して関わりがあったと推測できる。この時期,通勢にもキリスト教に取材した作品が少なくなく,大両者が活動を共にした裏付けとして九知会がある。『牧島知九略歴』に「同年(昭和3年)より日本橋丸善本庖階上に於て九如会を同志と共に開催すJ(括弧内筆者)(注21)という記述がある。「大正リアリズムを描く河野通勢展J図録収載の年譜によれば12月高須光治,小栗慶太郎らとともに結成され,昭和5年4月に文房堂にて第2回展が開催されている(注23)0 1如鳩jと「九如」何かいわくがありそうだが会の名は「天保九如Jから取ったものかもしれない。『牧島如九略歴』によれば如鳩は九如会に〈医明な点が多く今後の調査が待たれる。さらに如鳩未亡人である和香氏の記憶によれば,如鳩は通勢の長男である河野通明とも親しく,通明が昭和37年大調和会を再興したおり如鳩も協力したという。また,如鳩の長女美智恵と通明は交流があったとのことであり,牧島家と河野家は三代にわたって関わりがあったと思われる。ふたつの「誕生画」ここで如鳩と通勢の作品を見てみたい。通勢の大正5年(1916)に描かれた〈キリスト誕生礼拝の図}[図4Jと知鳩の昭和戦前期に着手された〈誕生釈迦像}[図5J は制作年代が多少ずれるが,共通した雰囲気が感じられる。通勢のものはキリスト教,如鳩のものは仏教に題材を求めており,宗教の違いはあるが両者に共通するのは「異108

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