示す統一的かつ保守的性格はまさに,帝国と教会からの要請を直接に反映するものであったといえるだろう。写本挿絵画家の役割は,したがって新しい図像を創造することではなく,既存のモデルを忠実にコピーすることであり,彼らの創作活動は公会議の決定に基づく厳格な規制の下にあった(注2)。その結果,福音書写本中に挿入される挿絵,すなわち四福音書記者の肖像には,際だ、ったバリエーションは見られず,その大半は書斎に坐って筆記する書記者の姿を建築モチーフや金の背景とともに描くものであった。この福音書記者肖像は,動物の形によって表わされる福音書記者のシンボルと組み合わせて描かれることがある。福音書記者のシンボルとはそもそも何であったか。旧約の預言者エゼキエルが神と出会った時,彼は四つの生き物を見た(エゼキエル書1: 4-14)01それぞれが四つの顔を持ち,四つの翼を持っていた。その顔は人間の顔のようであり,四っとも右に獅子の顔,左に牛の顔,そして四っとも後ろには鷲の顔を持っていた。」ヨハネによる黙示録にもまた,同じような記述が見られる(ヨハネの黙示録4:6-8)01この玉座の中央とその周りに四つの生き物がいたが,前にも後ろにも一面に目があった。第一の生き物は獅子のようであり,第二の生き物は若い雄牛のようで,第三の生き物は人間のような顔を持ち,第四の生き物は空を飛ぶ鷲のようであった。jこれらの四つの生き物は,2世紀以降,イレナエウス,エピファニウス,ヒエロニムスらによって新約聖書の四福音書記者と結びつけられるようになる。たとえば,エピファニウスは次のように述べている。「マタイによる福音書は,東方のマタイによってヘブライ語で書かれた。そのシンボルはケルピムの人の似姿にある。マルコによる福音書は,牛の似姿のもと,マルコによってローマで書かれた。ルカによる福音書は,パウロによって伝えられ,ルカによって獅子の似姿のもとに書かれた。ヨハネによる福音書は,鷲のシンボルの似姿のもと,パトモス島において書かれた。J(注3) ところが,福音書記者肖像とシンボルが組み合わせて描かれる例は,ピザンティン福音書写本の中ではむしろ少数派である。シンボルが必ずといっていいほど頻繁に福音書記者とともに描かれる西方(ラテン語)の福音書写本に比べれば,その差は顕著である。ネルソンは,その理由を次のように分析している(注4)。例えば,エピファニウスはマルコを午と結びつけているが,一方ヒエロニムスはマルコを獅子と結びつけている。どの福音書記者をどのシンボルと結びつけるのか,教父らの聞にかなりの-2-
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