鹿島美術研究 年報第18号別冊(2001)
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れる。また願行寺によれば〈誕生釈迦像〉の釈迦の顔は宋測をモデルにしたものだという。如鳩は宋測と共鳴し仏教に深く傾倒していったと思われる。もっとも知鳩は長野時代すでに仏教と出会っており,目下確認しえた最も早い時期の仏画は昭和4年に描かれている。もともと仏教に対する深い関心が確かにあった。いずれにせよ如鳩はニコライ堂で、培ったイコンの技術を仏画に応用し多分にキリスト教の要素が入った新たな宗教画を手がけ始める。先に述べた通勢作品にはない如鳩作品の力とは,おそらく如鳩の宗教家としての性格,強い信仰心に源を発しているのではないか。彼の信仰心は,東西の神秘主義が合流し形成された「土壌」に新たな「果実jを実らせた。その「果実」こそ仏耶習合のイコンなのである。次にこの特殊な「イコンJについて述べたい。仏耶習合イコン知鳩の油彩仏画やその下絵のほとんどにキリスト教的な図像が入り込んでいるため,すべてが習合イコンといえるのだが,ここでは特に思想においてもひとつに融合されているものを取り上げてみたい。まず,{一人だに亡ぶるを許さず}(昭和34年頃c.1959) C図6)があげられる。本画はロシアにあり(注32)未確認だが,下絵が和香氏のもとに残っていた。この作品は最後の審判を描いたものと思われるが,そこには如鳩独特の解釈が加えられている。中心に据えられたキリストは六つの腕をもっている。うちふたつは十字架に打ち付けられているが,残り四本は持物を手にするものもあり六皆の観音像を思わせる。まわりを天使がとりまくが中には天女もおり仏教の図像が見受けられる。通例最後の審判では救われる者と奈落の底に落ちる者と対照的に描かれるが,ここでは「一人だに亡ぶるを許さずjという画題のとおり一人として亡びる者はなくすべての者が天上に引き上げられている。これはむしろ仏教の教えに即したものではないだろうか。ここでは明らかにキリスト教と仏教が習合されている。もしキリスト教が江戸時代禁止されず日本の風土に溶け込んでいたならばおそらくこのような図像も出来していたのではないだろうか。かつて仏教が受け入れられ神道と融合していったように。これが牧島如鳩という一個人の内において成し遂げられている。〈横たわるイエス}C図7Jと〈立ち浬葉}C図8)はともに制作年が不明だが,いずれも如鳩独自の図像と思われる。横たわるイエスは十字架降下等伝統的な図像として

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