多々見受けられるが,如鳩のそれは「空jの字のなかにイエスが横たわっている。「空Jの「工」部は寝台となり,I r-'->J部は寵を形づくり,I八」部は二人の天使となっており,ちょうど寵のなかに横たわるイエスを二人の天使が見守る図となっている。ここにはすべては「空」だとする仏教の思想が現れており,浬繋の境地に至ったイエス像となっている。一方〈立ち浬繋〉は通常横たわるべき釈迦がすっくと立上がり,あたかも復活したように見える。ここにはキリスト教の復活思想が現れている。「イエスの浬繋図」と「復活の釈迦図」はともに下絵のみ確認できた。白江氏に問い合わせてみたところおそらく本画は存在しないとのことであった。これらの作品は求めに応じて描いたものではなく如鳩が描きたくて描いたものであり,おそらく本画を描いても納めるべき寺や教会が見つからないため下絵のみにとどめたものだという。〈千手千眼マリア>(図9Jと〈千手観音像>(昭和23年1948) (図lOJはマリア像と千手観音像がーっとなっている。〈千手千眼マリア〉はマリア像でありながら掌に目を持つ手を無数に広げている。額には「第三の目」が聞いている。掌に目を持つ多くの手は千手千眼観自在菩薩(千手観音)の特徴であり干の慈眼,干の慈手を具して,,衆生を済度するものである。〈千手千眼マリア〉ではこの多くの慈眼,多くの慈手を持ったマリアが表現されている。観音の本願は慈悲を第ーとしており,そのはたらきをマリアに重ね合わせたものだろう。〈千手観音像〉はいわき市小名浜の地福院観音堂にあり,現在でも信仰の対象として大切に記られている。一見し伝統的な仏教図像に依拠しているように見えるが観音の持物を子細に見ていくと如鳩独自の図像があることが分かる。一番上部にある一対の手はそれぞれ宝鈴を持っているが,このような例は他にはないと思われる。如鳩はこのふたつの宝鈴について白江氏に仏の鈴と耶蘇のベルだと話していたとのことである。また,正面下方の一対は通例,鉄鉢を持っているのだが,この絵では左手で印を結び,右手で幼子を抱いている。これも如鳩独自の図像であり,観音とマリアが重なり聖母子像の性格を帯びてくる。この他にも仏教とキリスト教を一つにした図像は枚挙にいとまがないが,ここでひとつの疑問に突き当たる。それは如鳩がハリストス正教会の伝教者でありながらなぜこのような特殊な「イコン」を描きえたのかという点である。如鳩は途中で仏教に改宗した訳ではなく,最後まで正教徒であり,葬儀も遺言によりハリストス正教葬が執り行なわれた。彼の説法も「仏耶に何らへただりゃあらんJ(注33)とし,聞き手の意識にあわせ,キリスト教から仏教,神道へと話はすすみ,決してひとつの教義にとら-113
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