Fhu 11:卸本尊は以前の御話の時ニハ詩才天様のまわりに二体尊を描くことになって造られた仏像ならともかく,昭和の半ばに描かれていながらこのような「ある種の力」を帯びているのはいったいどういうことなのか。そもそもこの詩才天像は昭和26年当地に滞在していた如鳩に信者が依頼して描いてもらったものである。長らく土砂に埋まりそのままになっていた詩才天社を再び勧請したおり,様々な人々にあらわれた「霊験を聴聞してj如鳩が描いたということが「龍ヶ津大詩才天勧請の由来」に明記されている。静才天をお把りしている土地の人々によれば,この絵の左端の家の中には如鳩に静才天像の制作を依頼する発端となった最初の体験即ち「童子を従えた賠才天」の姿を夢に見たという幼い孫娘とその話に聞き入る老女(新旧社殿を建立し,この絵の依頼主でもあった祭主の母親)が描かれ,また,左下静才天社の前には最も敬慶な信者の一人と思われる人物が手を合わせて一心に祈っている。社から強い光がこの人物を照らし,五色の雲がたなびく高みより辞才天が手をさしのべている。さらに画面右下には女性と思しき姿が雲に乗り,ある寺院を詣でている。この部分は,この人物が社の前で、祈っていた時,自分の分身が母親の姿となって近隣の寺に御札を貰い受けに行ったという不思議な体験を描いたものだという。信者たちの幻視をそのまま写したかのような霊的雰囲気,また何よりもそこに脈打つ信仰心が「ある種の力」の正体であろう。詩才天の春族として如鳩は当初十童子描いたが,少女の指示に従い十二童子に描き改めたという。この作品は竜ヶ沢という地域に同時多発的連鎖的に起こった「奇跡jを記録したものなのだ。いわば共同体が見た「夢Jの記述なのである。如鳩は仰々しい教えや体系づけられた宗教よりもこのような素朴で純粋で敬慶な信仰を好んだのではないだろうか。そこには生き生きとした喜びが息づき,生命力が溢れている。さらに後年,如鳩は竜ヶ沢の詩才天の「夢」に自らも連なろうとする。この作品が描かれた14年後,再び知鳩は〈龍ヶ津大韓才天像>c図13Jを描いている。今度は絹本の日本画である。この作品にも知鳩独自の図像が見受けられる。天部である詩才天がより位の高い知来や明王を従えているのである。このような図像が出来したのにはやはり訳があった。この絵が描き上がったことを報告する関係者に宛てた書簡に次の一節がある。居ましたが下絵が描き終った其の秋私にお示しが有りそれは器才天様の御共の十童子は十二支の守護神になって居る故,子丑寅卯辰巳午未申酉成亥全部
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