ウiの御出来の図とせよ而して龍ヶ沢静才天の信者又来拝者の守本尊になるようにとの御告げを得て右の図のように出来上りましたJ(注43)これを見ると,如鳩はいわば神的なるものからダイレクトな「お示し」を受けて描いたことが分かる。この特殊な図像を描いた最大の動機付けはこの「お示し」にあるのだ。思えば目に見えぬ「聖なるもの」を二次元,三次元の「像Jとして定着させるにはこのような「お示しjがあってこそ初めて可能となるのではないか。キリスト教のイコンにしても,そもそもは見えざる神の御姿を神的啓示により見た者がおり,そのヴィジョンを自ら描きあるいは他者に描かせようやくその姿がとどまり成立したのではないだろうか。神の姿を見ることのできない大多数の者にとってはこの「像jは何よりも尊いものであり,寸分違わず引き写すことがイコンを成り立たせる重要な要素となった。如鳩の場合,ダイレクトな「お示しjが彼個人に下ったため既存の図像に依拠することは彼にとってむしろ過ちを犯すことであったのかも知れない。彼独自の「イコンjとも言うべき一連の特殊な仏画,仏教とキリスト教を習合させた図像の数々に漂う迫力は彼が直接受けた「お示し」の生々しさによるのだ。イコンを成立させた源近い場所にこれらの作品は位置している。「お示し」が如鳩の「イコン」を支え,「芸術意欲」として大きなはたらきをもっていた。結び最後になったが,如鳩の印に興味深いものが一つある。昭和20年代初め,小名浜滞在中如鳩自身が刻したもので7センチ角の大きなものだ。印面には「牧島如鳩」の図案化された4丈字が彫られている〔図14J。そこには知鳩が自分自身の内に見出した様々な要素が「しるしJとなって現れている。まず「牧jの「牛」はハリストス正教のギリシア十字に,また,対角線上にある「鳩」の「九」は「百jとなり,キリスト教と仏教が等価なものとして扱われている。さらに「島」の「山」は日月を伴って蓬莱山となっている。日月並び出た蓬莱山は古来「天保九如」と称され理想、の境地として南画等の画題となっている。如鳩は己の名のなかにキリスト教と仏教,さらに芸術の調和を見ている。これが如鳩自身が自己に対して抱いたイメージなのだ。如鳩のうちにキリスト教と仏教は矛盾なく同居しており両者は芸術によって結ぼれている。如鳩にとって最も重要なものは神的なるものとの素朴で、純粋な直接交流が可能となる「地点」であった。ここにおいてキリスト教や仏教をはじめとする宗教はひとつと
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