注なり,様々な宗教として確立される以前の原初的で未分化な生き生きとした心情は息づく。先述した「お示し」もこの心情の現れなのだ。如鳩は宗教的感情の基層へ向かい,そこからキリスト教,仏教,神道と様々な宗教へ自由に出向いていった。既存の図像に縛られず,新たな図像を次々に描きえたのも彼の心情が宗教的感情の基層にまで深く根を張っていたためであろう。如鳩の心情は明治半ばから大正にかけての思潮を背景にハリストス正教の土着主義,中川宋測老師との交流により育まれていったと思われる。ここで注意したいのは彼の心情に形を与えたのは他ならぬイコンであったことだ。先に触れた「牧島如鳩Jの印同様,芸術が様々な宗教をひとつに結ぶ要の役割を果たしている。如鳩の作品を覆う「霊的」雰囲気はイコンとの出会いなくしては得られなかったのである。またイコンは如鳩の心情を十分受け止めるだけの力を有していた。以上,如鳩の宗教画について述べたが,次に掲げる彼の歌は自身の絵画の拠り所を示している。さまざまの形に宮を造れども神は心の奥にすまわん(注44)(1) 如鳩未亡人白江和香氏作成のリストの注記による。このリストには主要作品名と所在が記されており,如鳩没後ほどなく編まれた。生前交流のあった人々に配られたもの。(2) r法衣の画家牧島知鳩展図録J足利市立美術館,1999年,46~49頁(3) 古筆了悦校閲,狩野書信編纂『本朝画家人名辞書J大倉書居,1917年,199頁(4) 牧島如鳩編『牧島如九略歴.1,1967年頃,1頁。この『略歴』は,昭和38年ころより東京都文京区の願行寺において知鳩が中川宋淵老師とともに主宰したく心面会〉の参加者に請われ,如鳩自身が昭和42年ころ編したものである。なお「如九」となっているのは,如鳩70歳のとき,宋湖より一打を受け「烏」が飛ぴ去り以後「如(6) 筑波山方面に旅した折のスケッチブックの表紙に書き込まれている。如鳩自身が編した『牧島如九略歴j(注4参照)の草稿であると思われる。(7) りん,如鳩およびブルーニの〈ゲフシマニアの祈り〉は「山下りんとその時代展九jと改号したことによる。(5) 白江和香氏談118
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