鹿島美術研究 年報第18号別冊(2001)
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相違が見られ,そのため東方(ピザンテイン)ではシンボルを含むことに対して消極的であったのではないか,というのである。ネルソンは,シンボルが描かれるピザンテインの福音書挿絵を網羅的に収集し,記者とシンボルとの組み合わせに見られるバリエーションを詳細に検討するとともに,13世紀以降ヒエロニムスのパターンが優勢になることを明らかにしている。ネルソンは,これを当時ピザンテイン社会に広く見られた西方からの影響の一貫としてとらえている(注5)。一方ガラヴァリスは,福音書の序文テキスト(hypotheses)に注目することによって,西方からの影響説を唱えるネルソンに反論している(注6)。序文とは一般に,教父による著作の引用に基くものであり,福音書の内容,またその著者について説明する中で,各福音害記者は四つの生き物のうちいずれかと結びつけられている。序文中にこのような記述が見られるとすれば,ピザンテイン福音書記者肖像に挿入されるシンボルについて,何も西方からの影響を持ち出すことはない,というのが彼の主張である。しかしながらここで留意すべき点は,シンボルを含むピザンテイン福音書記者肖像は,シンボルを含まない作例に比べてず、っと少ない,という点である。ガラヴァリスが主張するように,福音書序文中に見られるシンボルに関する記述が,挿絵中にシンボルを含むことを要請したとすれば,なぜシンボルはまれにしか描かれなかったのだろうか。ガラヴァリスは,なぜシンボルがピザンテイン福音書挿絵に挿入されたのか,という点を明らかにしようとしているが,なぜシンボルはまれにしか挿入されることがなかったか,という点は解明していないのである。それは,ピザンティン福音書写本におけるイメージの役割について考える上で,非常に示唆に富んだ問題であるように思われる。この点,後に立ち戻って検討したい。東方のギリシア語福音書写本とは対照的に,西方のラテン語福音書写本挿絵では,シンボルが頻繁に描かれる。それもほぼ例外なくヒエロニムスのパターンにしたがって,マタイと人,マルコと獅子,ルカと牛,ヨハネと鷲が組み合わせられる。シンボルの挿入はピザンティンに比べてはるかに頻繁であるのみならず,その表現はバラエティーに富み,豊かな想像力によって生み出されている。ノーデンファルクは,西方の作例を多数収集し,シンボル図像の変遺をたとやっている(注7)。福音書記者肖像の中で,記者とシンボルとをそれぞれどのように配置し,結びつけるのか,両者の関係はそもそもどのようなものであったのか。人,獅子,牛,鷲の「似姿jの下に書かれた,という教父らの記述は,両者の関係を具体的に示すものではない。したがって,-3-

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