せっきミントンミントンの陶磁器はいくつかの作品群に分類される。「ウイローパターンJ(No.13~ 14)一一ミントンの創業初期から生産された白地に染付の器。「セラドン・ウェア」(No. 2 ~ 3)一一ボーン・チャイナとパリアン素地とのコンビネーションによる器。また〈多彩紬花唐草貼付文飾壷>(No.15)は,大理石のような輝きを持つパリアン磁器で,パテ・シュール・パテの浮き彫り技法が使われている。ドレッサーは,ミントンで「七宝」として知られる多くの作品をデザインした〔図1 J。これらは磁器にエナメルの文様を施したものだが,ドレッサーのデザインであるとされる作品は4点にすぎない(No.5 ~ 8)。特に,<青地色絵花井文花瓶>(No. 5) は,ミントン・ミュージアム・アーカイブにその原画が残されていた(注10)(図2J。明治10年代に,宮中の正餐に使うテーブルウェアがミントンに発注されている。宮内庁の大膳課には,これらの洋食器が保管され現在でも使用されている。大熊敏之氏は「宮中洋食器史考」の中で,明治期の帝室・宮内省がミントン製品と出会った最初の事例は,このドレッサー寄贈品に遡ると指摘し,I英国製品の質の高さは明治天皇をはじめ,宮内省関係者には十分認識されたことであろう。そして,このことが遠因となって,ミントン杜に対して〈御旗御紋コンポート〉などの製作注文がなされることになったのではないかjと論じている(注目)(図3J。ドルトンドルトンの美術陶芸は,ウィーン万博への出品で一躍脚光を浴ぴ,フイラデルフイア万博では1500点の作品を出品し一等賞を得るなど,高い評価を受けた(注12)。寄贈品の多くはジョージ・ティンワースやハンナ・パーローなどの制作による妬器である。また,モノグラムの刻印によって,可能な範囲で作者を断定することができた(注13)。ドイツ陶磁器ドイツ陶磁器の多くは,ビールなどを入れるフンペンやクルークなどであり,また,〈騎士図浮文把手付杯>(No.39)は背の高いシュネレである。これらは,16~ 17世紀に作られたドイツ古陶磁の複製品と考えられるが,オリジナルはライン河流域のジークブルク及びドイツ南東部のクロイセン地方などの塩粕妬器にその原型が見られる(注目)。-127-
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