ひさなりその他現存する寄贈品には,フランスと英国のガラス製品,英国の金銀細工工房エルキントン社の〈ミルトン楯},英国製のカーペットなどが含まれていた。第2次,及び第3次寄贈品ドレッサーは帰国後,続けて2度の寄贈をおこなっている。第2次の寄贈は,明治11年9月頃行われたが,r東京国立博物館百年史』によれば,その内容は,綿織物やレース,敷物などの繊維製品1201点とされている。この寄贈はドレッサーとロンドス商会からであるが,該当する現存品は発見されていない。おそらく,産業用の見本として活用され,残りは東博の歴史の変遷の中で処分されたと考えられる。た。東博の資料館には,ドレッサーが博物館長の町田久成に宛てた英文書簡と日本語訳,町田がドレッサーに宛てた返答書簡とその英語訳が残っている(注15)。これによると,寄贈品の内容はリンソープ(LinthorpeArt Pottery)の陶器と数点の織物見本である(リンソープの現存品は東博の4点,京博の2点である)。上記のように,ドレッサーがもたらした寄贈品は,明治初期における日本と英国との美術交流を裏付ける証拠であるとともに,日本政府の殖産興業政策における具体的な方針を探るうえで,重要なものであるといえよう。寄贈品は,ヨーロッパの工芸品コレクションとして,明治14年に新設された上野の博物館に移転された。これらは一般へ公開され,西洋の器物や生活スタイルを知る上で,工芸品を制作する工人たちの参考になったことはいうまでもない。1878年9月14日号の雑誌『ザ・ピ、ルダ-jには,ドレッサーが“WORKSFROM JAPAN"という記事を載せており,町田久成がドレッサーに宛てた書簡が紹介されている。その中には,金沢と加賀の陶磁器会社から,寄贈品のコピーを製作したいという願いが博物館に出されたという記述がある(注16)。ドレッサーは,約3カ月に及ぶ日本各地の視察の旅に出ている。当時の明治政府は,殖産興業の目標を掲げ,特に美術工芸品の輸出に力を注いでいた。大久保利通は,ド第3次の寄贈は,明治13年10月,ドレッサーとチャールズ・ホームによって行われ2 明治政府の殖産興業政策とドレッサーの提言128
元のページ ../index.html#138