鹿島美術研究 年報第18号別冊(2001)
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治11年7月に取り壊された。ジョサイア・コンドルが設計した上野の博物館本館月18日)治10年1月17日)に掲載されており,寄贈品を贈ることになった経緯やドレッpp.195, 212.寄贈品の陳列及び天覧に関しては,国立公文書館『太政類典第二られたが,ニール号は3月24日に伊豆沖で難風のため座礁沈没した。同船からはその後数年間をかけて,一部の積荷が海中から引き上げられた。(4) 寄贈品は,第八号列品館に収蔵されたが,この列品館は,上野に移転するため明が完成するのは明治14年であり,第2囲内国勧業博覧会に使用された後,翌年3月に開館した。(5) r東京国立博物館百年史j本編,東京国立博物館編,1973年,156頁(6)国立公文書館『明治十年一月公文録内務省之部二三十六号j(明治10年l(7) フィリップ・オーウェンから佐野常民に宛てた書簡の内容が,東京日日新聞(明サー来日の目的などが明記されている。(8) 前出,Halen, Christopher Dresser and The Cult of Japan, p.160.及び,鈴木博之「クリストファー・ドレッサーと日本Jr万国博覧会の研究』思文閤出版,1986年,58頁(9) Christopher Dresser Japan, its Architecture, Art, and Art Manufactures, 1882, 編』二十六(明治10年2月21日)に通達文書が残っている。この内容から,寄贈品は展示の後,明治天皇をはじめ各省の大臣らにも閲覧されたと思われる。(10) ドレッサーの図案調査については,ミントン・ミュージアム・アーカイブのジョーン・ジョーンズ氏のご協力を得た。同『饗宴一一近代のテーブル・アートj図録,宮内庁三の丸尚蔵館,2000年,6頁同ドルトン製品については,堀江珠喜『英国の名窯ロイヤル・ドルトン』京都書院,1997年,を参照した。同ドルトンの製品および作家モノグラム解読については,古家猛氏の資料提供及びご教示をいただいた。(14) David Gaimster, German Stoneware 1200 -1900, British Museum Press, 1997.を参照した。なお,ドイツ陶磁器の特定については,ポール・アゼンパウム氏,久保幸子氏,根津美術館の西田宏子氏らのご教示をいただ、いた。回東京国立博物館資料館『明治13年列品録二東京帝室博物館』135

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