鹿島美術研究 年報第18号別冊(2001)
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(21) Wider Halen, Christopher Dresser a pioneer of modern design, Phaidon Press, (16) The Builder, 1878, September 14.なお,村木直子「産業化の時代における意匠クリストファー・ドレッサーと日本」京都造形芸術大学修士論文,105頁を参照した。制ドレッサーは,日本からの帰り道に米国に立ち寄り,テイフアニーのために蒐集した日本の工芸品や日用品約8000点を届けている。このコレクションの売立ては,1877年7月18日から,ニューヨークのアスター・プレイス,クリントンホールの売立て場で行われた。内容は,陶器,漆器,金工品,布地などで,その数は1902点にのぼる。同この講演は,Journal of The Society of Arts, February 1, 1878に“Privateview for Japanese art industry"として掲載された。(瑚ルパート・フォークナー氏とアンナ・ジャクソン氏は「ドレッサーは日本をイギリスの神秘的過去の体現と見る,当時最も支配的で,ともすればロマンチックなイメージに影響を受けていた」と述べている。(ルパート・フォークナー/アンナ・ジャクソン「サウス・ケンジントンに見る明治時代ヴイクトリア・アンド・アルパート博物館の日本美術品(1852~1912 年)J, The Nasser D. Khalili Collection of Japanese Aげ,The Kibo Foundation, p.167) 帥樋田豊次郎『明治の輸出工芸図案J京都書院,1998年,211頁より引用1990, p.46.チャールズ・ホームは,1893年に雑誌『ザ・スチューデイオ(TheStudio) jを創刊した人物である。また,チャールズ・ホームは,1889年に,アーサー・リパテイ夫妻と画家アルフレッド・イーストとともに日本を訪れている。凶前出,Halen, Christopher Dresser a pioneer of modern design, p.44. また,ドレッサーの息子のルイスは,1896年にリパティ商会の家具部門に入社している(アリソン・アドパーガム『ドキュメントリパティー百貨庖jPARCO 出版,28頁)。また,息子のクリストファーは,日本女性と結婚し日本に定住した。彼の墓は神戸市の外国人墓地にある。側この陶磁器は,ロンドス商会が日本から輸入したものである。制)村木直子氏のご教示によると,この記録はドレッサーの直筆ではなく,John. S. Wade (またはWaile)という人物が代筆したものと思われる。136

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