鹿島美術研究 年報第18号別冊(2001)
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(Pi句ontMorgan Library, M777, fo1. 37v) (図3)(注10)。様式上,9世紀の「エツつの円は呼応しあい,ある一点において接触しているが,同時に異なる軌道を描いている。このような構図は,シンボルと福音書記者が別々の軌道をたどる存在であることを説明するとともに,両者がある一点において(すなわち福音書を記すというまさにその瞬間において)出会うことを示しているように思われる。シンボルが手にするほどかれた巻物は,二つの弧をつなぐものとして描かれている。第三の作例は,Iモスタイン福音書」と呼ばれる写本で,1120年頃の制作とされるボ福音書」との類似が指摘されているが,シンボルの上に坐る福音書記者の肖像は,「エッボ福音書jには見られない,非常に特異なイコノグラフィーであるといえる。これまで何人かの美術史家が,この特殊な図像の源泉を探ることを試みてきた(注11)。その結果,オリエントの星座図像,天文学の写本に見られる四元素の挿絵などが,そのモデルとして指摘されてきたが,図像の源泉が明らかになったからといって,この特殊な肖像のすべてが解明されたとはいえないだろう。画家は,そもそもなぜ(聖書写本ではない)全く別のジャンルから挿絵のモデルを採用しなければならなかったのか。このような特殊な図像によって,画家は何を表現しようとしたのか。ごく普通の福音書記者肖像が表現しえないところの何かが,この特殊な図像によって表わされているはずであり,そのような画家の意図を解読することもまた,(図像の源泉探しゃ様式史的研究にとどまらない)美術史研究の役割であるように思われる。ここでは,通常のシンボルと福音書記者の位置関係が逆転させられている。一般に,有翼のシンボルは天上の存在として画面の上側に,一方地上の福音書記者は下側に描かれる。前例に見られるように,両者はある一定の距離によって隔てられている。しかしながら,ここでは福音書記者がシンボルの上に坐っている。重量感ある太めの福音書記者の身体は,重力によって下方へと引っ張られ,全身の体重をかけてシンボルを下へと押しやっているかのようである。一方,有翼のシンボルはそれと正反対に,上に向かう方向性を示唆している。シンボjレは,あたかも福音書記者の身体を宙に浮かび上がらせるかのように,下からそれを持ち上げている。福音書記者とシンボルは,こうして互いに押し合い,結び合っている。この図像に見られる,親密とさえいえるような両者の関係は,両者が太い枠によって厳格に区別される例,あるいは一点のみの瞬間的な接点を有する例とは顕著に異なっている。ここで注目すべきことは,互いに押し合う親密な近さにありながら,同時に両者は各々のアイデンテイティーを失わ-5-

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