鹿島美術研究 年報第18号別冊(2001)
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⑬ 第三共和制下のフランス美術行政とオディロン・ルドンの装飾作品をめぐって研究者:名古屋大学大学院文学研究科博士後期課程山上紀子はじめに年を過ぎる頃まで一部の象徴派文学者や批評家からわずかな支持を得ていたにすぎなかった。ところがその後,画商ヴォラールや複数の個人蒐集家が作品を購入するようになると,1899年を最後に版画出版を止め,富裕な個人顧客の邸宅を彩る壁画パネルや扉風などの制作に集中していった。こうして1900年代には個人注文に応じて多くの室内装飾作品を作ったが,一度だけ固からも注文を受けゴブラン織りのための下絵を描いた(注1)。この織物下絵に関する情報はほとんどなく,数多いルドン作品全体のなかで軽視されているが,ルドン晩年を特徴づける作品として見直す意義は大きいと考える。なぜなら第一に,ルドンはこれ以外にもいくつかの「織物jに関わる作品を描いているので,この分野においてルドンが活動したことを認め,その意味を考えることが必要と考えるからである。ゴプランの下絵は,複数の織物に関わる作品のなかで唯一,注文によって制作されたことがはっきりしているが,ゴブラン織り下絵以外のものは制作の動機や目的がまったく謎のままである。ここに表れているように,ルドンが晩年にどのような環境で,どういった作品を作ったのかはよくわかっておらず,それを明らかにするために今後いっそうの調査を進める必要がある。本論では比較的資料に恵まれたゴブラン織り下絵を手がかりに,ルドンが装飾芸術のなかでも織物に深く関わったことを確かめ,これまで注目されることのなかった織物下絵作品群が興味深い性格を備えていることを理解したい。第二に,この作品は美術の伝統と革新とが衝突した世紀転換期のフランスにおいて,揺れ動きながらそのふたつの性格を巧みに使い分けたルドンの姿を示すただ一つの手がかりとなるからである(注2)。ゴプラン製作所からの注文に関する資料はフランス国立公文書館に保管されている。その資料は,国家注文という形で中央美術行政の統制を受けつつ,どの程度自由な表現が許されたかという問題を提起している。本論では第一の問題を中心に,織物下絵という分野でルドンが創造性豊かな試みを行ったことをいくつかの作品例を紹介しながら論じてゆく。1879年より版画集を断続的に出版していたオデイロン・ルドン(1840-1916)は1890144

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