1 .一連の織物下絵群の見直しリー原画〔図1Jを納め,1911年に肘掛け椅子用のタピスリー原画〔図2,3, 4, 5, 6 Jを納めた(注3)0 1908年に最初の注文がなされた事実は先行研究で紹介されているが,それ以降の制作の経緯および作品に関する情報は断片的なものに過ぎなかった。今回の調査で,実際にどれだけの作品がいつ作られたのか明らかになった(注4)。さらに,現在オルセ一美術館に所蔵されている複数の織物下絵と思われる作品が,先のゴブラン織りのための下絵とほぼ同時期に描かれた可能性が高いことが判明した(注5)。この結果,これらの作品を一連の「織物下絵連作Jと捉えることができるようになり,したがって,1908年頃より最晩年にかけ画家は「織物」という分野にまとまった関心を注いでいたと述べることができる。まず,ゴブラン織り原画とそれ以外の織物下絵がほぼ同時期に作られたことと制作時期以外にそれらの関連性を示す点を指摘しておこう。1908年頃(筆者推定)の作と思われる〈赤と青の衝立}(w.2528) C図7Jは赤と青の強いコントラストを特徴としている。外側カミら,広い青,細いピンク,広い黄土色,細いグレーの帯が中央の赤い四角へと向かつて層を成している。中央には小さな花や葉がグレーとオレンジで描かれている。淡いベージュを基調色とするゴプランの下絵とこの作品とは一見まったく無関係に思われるが,どちらの作品にも花が描かれ,どちらも絵の具は下塗りの施されていない粗い布目のカンヴァスにテンペラで塗られている(注6)。また,いずれの作品も脚の着地部を外側へ湾曲させたルイ15世様式の金色の額に入っている(注7)。〈赤と青の衝立〉に使われた色彩の強い対比がもたらす前衛性と額の懐古趣味は様式が大きく誰離しており,不釣り合いだという印象を受ける。額の制作者の意図はわからないが,この作品を描いた頃のルドンはフォーヴ的色彩へと傾倒していた。このような激しい色彩は1903年に描かれた〈赤い扉風}(w.2524) (図8Jや〈ジェラニウム〉などに見られ,まさしくこれらの2作品こそがルドンに織物下絵を描く機会を与えたのだ、った。というのは,ルドンに下絵を注文したゴブラン製作所監督ギュスターヴ・ジェフロワは,これらの作品の激しい「色彩」を高く評価し,注文決定に至ったからである(注8)。ゴブラン織り下絵には最終段階で落ち着いた色彩が選ばれたが,画家の死後までアトリエにあったというこの〈赤と青の衝立〉に描かれた花の躍動的表現1908年に国立ゴプラン製作所から注文を受けたルドンは,1909年に衝立用のタピス-145-
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