がゴプランの下絵と共通している点からも,この作品がゴブランのための試作品あるいはそれに先立つ作品であったと想像できる。もう一つの関連作品は,現在アメリカで個人が所蔵する〈アンドロメダA}(w.1279) 〔図9)である。これは19日年にコレクターのマルセル・カップフエラーによってルドンから直接購入されたが,{アンドロメダB}(注9)(w.757) (図10)と同様,縁取りが描かれ薄いテンペラが使用されている(注10)。この作品はおそらく1916年にギュスターヴ・ジェフロワが「製作所がこの作品(注11)に,ルドンに描いてもらうと決まっていたタピスリー下絵〈アンドロメダ},空と海に照らされ貝と海の花の類い希な美しさに固まれた繊細な〈アンドロメダ〉を華々しく加えることができたなら!(注12)J と述べた作品ではないかと思われる。衝立や肘掛け椅子の場合がそうであったように,このタピスリーを注文するに際してジェフロワは正式に手続きがなされるかなり以前から,ルドンに対して親密な態度で注文の意志やその内容を告げていたに違いない。そうならば,この作品そのものが納められた訳ではないにせよ,これがゴブラン織り下絵の試作であった可能性はある(注13)。さらに,1910年頃のワグラム通りのアトリエを写した写真1(図11)は〈アンドロメダA}が,すでに完成されていた〈アンドロメダB}を下敷きにした可能性を示している。この写真においてルドンは〈アンドロメダB}(w.757)と〈祈りの械強A}(w.2521) (図12)が掛けられた壁を背景に立っている。械訟の下絵と〈アンドロメダB}がこのように壁に並んでいた時期に,ルドンはゴプランからの注文を受けて制作しており,1911年初頭に椅子の打ち合わせのためアトリエへやって来たジ、エフロワがこの作品を目にした可能性は高い。1909年9月7日にボンゲルに宛てた手紙の中でルドンがi(ジェフロワが)今度は械訟が欲しいと言ってきた(注14)Jと書いたが,この時つくられた作品は〈アンドロメダA}もしくはいずれかの〈祈りの械盤〉ではないかと思われる。以上に見るとおり,制作時期や主題などの点からゴブラン織り下絵の試作である可能性をもった織物下絵が存在している(注15)。このほか個人注文者からは一度,械迭に関わる作品が要望されている。それは1902年末にケスレール伯爵により自宅用に注文された装飾パネルと械訟の下絵で,ルドンの台帳によると伯爵は1908年以降に「械訟を模倣した壁画装飾jと「械強パネル」の2枚を手に入れた(注16)。筆者がオルセ一美術館収蔵庫で確認させていただいたところ,{祈りの誠監B}(w.2522) (図13)に描かれた左側の白い四角の下辺に沿って,ルドンのサインと1909という年号が確認され146
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