鹿島美術研究 年報第18号別冊(2001)
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た。ケスレールに手渡された2枚の作品が〈祈りの繊堅A},{祈りの械密B},{トルコ風祈りの誠盤}(w.2520) (図14Jのいずれかである可能性は高い。また,コレクターが所有していたタピスリーや械迭を幾度も目にしていたルドンは古今の織物から何らかのヒントを得たようである。たとえば1900年には,ブルゴーニュのイオンヌに城をもっ貴族ドムシ一男爵より食堂の壁を15枚の大型パネルで彩ることを求められた。男爵はI(赤と黄が基調色となる部屋全体と)タピスリーとの調和を考慮して欲しい(注17)Jと指示し,また別の手紙では,パネルを設置する予定の壁三方に印を付け,印の無い壁にはタピスリーを吊すことを伝えた(注18)。別の個人コレクター,ギュスターヴ・ファイエはルドン最晩年の大作となったフォンフロワド修道院の図書室壁画を注文したが,画家は制作のためにナルボンヌにある修道院に長期滞在していた。その修道院にはチュニジアから持ち込まれた械越などが多くあった。またファイエは械訟の蒐集にとどまらず,パリに械訟の工房を構え,自らが下絵を描いた。ファイエの織物は当時,非常に高い評価を受け,多くの人々が作品にルドンからの影響を指摘した。このようにルドンは個人愛好家のためにタピスリーを考案し,彼らが蒐集した織物と接することによって,取り外しが自在で壁面や床面を簡便に覆うことのできる大型平面装飾としての織物の役割と可能性を考えた(注19)。ll.織物下絵の特徴一一イ云統への配慮と独自性一一前章では,ゴブラン織りのための下絵と,これまで制作動機がはっきりしなかった織物下絵とが同時期に制作され,共通する性質を備えていることを述べた。この章では,ルドンが織物という素材を絵画に取り入れ,独自の絵画表現を開拓したことを見ていく。オルセーに所蔵される3枚の械訟を描いた作品〔図12,13, 14Jはテンペラで描かれている。カンヴァスには下塗りが施されておらず表面処理もされていないので,荒い布地の織り目がそのままマテイエールや色彩の一部として目立っている。制作から約90年が経過したため麻布地の上に薄く塗られた絵の具は黒ずみ,あざやかな色は槌せている。ワニスで上塗りもされず,溶剤で薄められていない粘度の高い絵の具で描かれた小さい斑点や細い線は剥落している。1900年代にルドンは多くの作品でテンペラを使った(注20)。研究者ストラティスの分析に基づいて考察をすすめると,ルドンがテンペラを用いた最大の理由は色彩表現の素材として彼が最初に馴染んだ「パステ-147-

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