鹿島美術研究 年報第18号別冊(2001)
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17Jで確認される。当時の美術館所蔵品カタログと,現在の美術館カタログとを比較ル」とそれ以前に愛用した「木炭jや「リトグラフjに固有のマットな質感を出すためであったと考えられる(注21)。同時代の画家たちによって描かれたタピスリーの原画は多くの場合,紙に水彩かカンヴァスに油彩で描かれ,色は薄めで輪郭が強調されたようである。ルドンはそれほど完成度を高める必要のない織物下絵という課題のなかに自分にとって好ましい表現手段との接点を見いだし,それを上手く利用した。光沢のある絵画的仕上げを施さず,布地や糸目の質感を露わにしたのである。〈祈りの械訟〉と題された3点と,1909年頃の作と思われる〈赤と青の衝立〉では布地の糸目が抜きんでて荒く質感がとくに強調されている。この特徴はゴプランの下絵にも見られる。マットな質感を与え,織物の再現性をめざした手法によってルドンは何を表現したかったのか。このことを知る上で次の逸話は示唆的である。ルドンは1910年4月にリヨンで織物美術館を訪れたあと,そこで見たものについて次のように語った。「リヨンで織物美術館を見ましたが,すばらしかったです。(中略)ピザンチンやベルシアの肱い布片がありました。年月の経過によって絹のすべての色相が現れていたことがいちばんおもしろいと思いました。驚博したのは遺物です。目を奪われました(注22)oJまず,織物美術館を訪問した事実は,ルドンが織物へ高い関心をもっていたことを証明している。そして彼は美しい色と輝きをもっ壮麗なゴブラン織りではなく,古代の小さな破れた布きれに心を51かれたと打ち明けている。彼が「遺物」と呼んだ展示物は1910年から1920年頃の美術館を写した写真〔図15,16, すると,ピザンチン,ベルシアのものと彼が考えていたものは展示場ではあまり正確に分類されておらず,そのなかにはコプト,トルコ,エジプトの布も含まれていた(注23)。とはいえ厳密なことにはとらわれず,所蔵する作品をすべて並べ尽くすという当時のおおらかな展示法は,古く傷んだ布の様々な表情を強く印象づけている。ルドンは風化した織り布が新しい布にはない独特の風合いをもつことを感じとったのである(注24)。下塗りのないカンヴァスにテンペラで素早く描きマットな質感をもたせるルドンの手法は,ナピ派やゴーギャンに賞賛された。この方法によってルドンの「絵画」表現は新しい広がりをもったと考えられる(注25)。ゴブラン織りの完成作品とは,国立製作所でタビスリー,衝立,椅子,という形に仕上げられた状態を言う。画家が描いた下絵をもとに,製作所専属の染色技師が染めた糸で,製作所に所属する織り師がその図案を織り,そのあとできあがった織物を指148

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