鹿島美術研究 年報第18号別冊(2001)
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彼らと一緒に行動することは別です。(中略)ゴプランの古い体質のために,慎重な態度をとる必要があるのです。ゴプランが生まれ変わっているのは確かです。しかし,みじんも心配させたくないのです。(注30)J画家の最新の活動を熟知し,親密に交流していた製作所監督ジェフロワは,激しい色彩や表現を用いたルドンの新しい作品とその価値を十分に理解していたが,ゴブラン織り下絵のためにより穏やかな表現へと柔軟に手加減できる「配慮」をもった老練の画家ルドンをよりいっそう信頼した側面があったと考えられるのである。おわりに正式に注文を受ける前のことだが,ゴプラン製作所から注文の話を聞かされたルドンはエミール・ベルナールをともなってゴプラン美術館を見学し次のように述べた(注31)0 I作品が悪くなったのは,自然主義を乱用したからだと思います。われわれが知るべルシアやフランドルの作品は,より多くの想像力が創造性をもたらすことを示しています。(中略)もしもわたしがゴプランにほんの少しの幻想と直感をもって,なんらかの緩和的表現をもたらすことができるとすればとても幸せです。(中略)特殊な方法で行います。輪郭線が必要なので強弱を付けながら輪郭線がより柔らかく描けるようにやってみます。(注32)Jルドンは「自然(主義)Jが芸術に必要不可欠であると考えていたが,それはあくまでも手段であり目的ではなかった。現実と想像力との均衡がうまく保たれなければならず,I自然」に執着しすぎると巧さや力のない熟練された技法ばかりになる危険があると考えていた。この思想でタピスリーを捉えたルドンの思いは,Iもはやタビスリーは絵画の生彩がなく薄暗い模倣に過ぎない(注33)Jと述べたゴンクールの嘆きと同じであった。「自然主義を誤用した」とルドンが述べたのは,当時のタピスリーが技巧を極め,I絵画への追随」に終始していた状況を憂いたからだろう(注34)。これまで作品としてあまりに軽視されてきたルドンの織物下絵群は,地味な色彩をもち,艶も光沢もない仕上げが施されているがゆえに斬新な試みであったのである(注35)。また,同時期に描かれたと考えられる他の織物下絵や同時期の扉風やパネル作品と比べ,ゴブラン織り下絵には過激な色彩や表現が控えられ,そこには画家の注文主に対する配慮が現れている。本論では,ルドンがその晩年において室内装飾を目的とする一連の作品制作のうち150

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