鹿島美術研究 年報第18号別冊(2001)
161/716

phJV P紅is,Jose Corti, 1985, p.147)。こうしたことから1910年に,あるジャーナリス注(1) ルドンは固から1885年に5枚組版画集l部と1904年に油彩1枚を買い上げられた(2) ルドンの公的美術への関わり(つまりサロンや国家買い上げなど)の問題に着目(3) 図版に挙げたもののほか少なくとも,さらに2枚の肘掛け椅子用のタピスリー原(4) ゴプラン製作所のための衝立と肘掛け椅子の注文と制作の経緯抜粋。織物に関して他に類例のない芸術的探求を行ったことを確認した。が,注文を受けてから制作したのはゴブラン織り下絵だけである。したのはガンボニである。彼は1872年から1895年までの間に画家が繰り返し作品の買い上げや助成を申請した事実を発掘した。ルドンが公的注文に無関心だ、ったと考えられてきたのは,画家自らがそのように振るまったことによる。たとえば1878年4月にルドンは,1フランスではず、っとアングルがプッサンやダヴイツドや他の同じ性格をもっ画家たちのように尊大でげんなりするような公的美術の守護聖人の顕現の典型となっていくのだろうJと郁撒し,国立美術学校について,「判断基準を嫉妬深く監視する学校は,いわば陰気で寂しい調剤室であり,これらの大切な才能の芽が摘み取られてしまうところである」と糾弾する(OdilonRE-DON, A soi-meme. Journal (1867-1915). Notes sur la vie. L'Art et les artistes, トは「最も優れた人々がこの天才の前では頭を垂れてしまうこの純粋な芸術家は,公的巨匠とは少しも似ていない。彼は自分の意志で自分の芸術を固から引き離したのだ」と述べた(DarioGAMBONI, La Plume et le pinceau. Odilon Redon et la litterature, Paris, Les Editions de Minuit, 1989, pp.49-53)。画が納められた。問い合わせたところ,閲覧不可能なところに所蔵されているとのことで写真の入手も許可されなかった。A.衝立=1908年11月9日から1909年11月13日,国立ゴプラン製作所で衝立〈花〉の織りと組立。同年11月17日(頃),高等美術評議会で注文が決定。1909年1月10日,衝立の下絵納入。2月,衝立の代金800フラン支払い。2月9日,下絵が収蔵品として登録される。3月2日,ゴプラン審議委員会で下絵が承認される。9月7日,国立ゴプラン製作所で衝立の制作が続けられる(cf.ルドンからボンゲルへの手紙)。この年,エコール・デ・ボザールでの11909年度注文購入作品展Jに衝

元のページ  ../index.html#161

このブックを見る