(5) オルセー美術館に所蔵される作品はカンヴァス上に絵の具で織物の文様が描かれ(6) ゴプラン製作所より衝立下絵の内容に関して受けた具体的な指示は「花を描くこ(7) 1923年にギャラリー・ドルオで聞かれたルドン展のため額装されたことが裏側の(8) 1908年4月10日付ルドンからアンドレ・ボンゲルへの手紙(Lettresinedites ぶ。C.そのほか=1909年頃,<祈りの械盤〉と題された3作品と〈赤と青の衝立〉を立の下絵が出品される。1910年10月27日,肘掛け椅子のための下絵制作に困難を感じるが,早急に仕上げて届けることを約束する(cf.ルドンからジェフロワ宛の手紙)0 1911 -1912年,国立サヴォヌリー製作所でルドン下絵による〈衝立〉制作。1911-1912年,国立ゴプラン製作所で,ルドン下絵による〈衝立〉が木枠に収められる。B.肘掛け椅子=1911年2月9日,代金の内訳に関する文書。同年日付不明(火曜日),肘掛け椅子のための下絵納入。次の注文の計画が示唆される(cf.ジェフロワからルドン宛の手紙)03月24日,肘掛け椅子のための下絵の納入。1911年6月1日目1925年1月3日,製作所で肘掛け椅子4脚の制作。描く。1912年6月12日,下絵(衝立〈アンドロメダ〉のことと思われる)制作に取りかかる(cf.ファイエ宛の手紙)012月3日,下絵制作の継続(cf.ルドン夫人からボンゲル宛の手紙)0 1913年,ゲントで聞かれた国際展に,衝立の下絵と肘掛け椅子3脚の下絵と,サヴォヌリー製作所でつくられた衝立が出品される。たものである。この状態がすでに完成品であった可能性もあり,もしそうならばこれらが織物の「下絵」である確証はない。本論では便宜的に「織物下絵Jと呼とjだけであった。この作品はオルセ一美術館では〈暖炉用衝立P紅feu}と呼ばれているが,裏に糊付けされた作品ラベルによると1923年(画家は1916年に死亡し夫人は生存していた)には〈衝立Ecran}と題されていた。1972年に夫人の遺言を受けて寄贈された。カタログ・レゾネによると,この作品のほか〈黒い花瓶のアネモネ}(w. 2527,岐阜県美術館蔵)も暖炉用衝立として構想された下絵であり,これは紙の上にパステルで描かれている。ラベルからわかる。d'Odilon Redon a Andre Bonger, Frantz Jourdain, Jose et Ricardo Vines (1894 1915) et de Camille Redon a Andre Bonger (1902 -1913), edition etablie et pr白巴n-152-
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